あしを愛する

2015-09-28 10.41.14

〈好きなモノを永く使う。靴や車といった移動の友も、そうでありたいと思います。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日、専門業者さんに修理に出していた靴を二足、受け取ってきました。すり減ってしまった靴底を張り替える、という作業を終え、一ヶ月ぶりに私のもとに戻ってきたんです。

 

この二足とあともう一足、私には捨てられない靴があります。どれももう20年近く使っているはず。あと一足のローファーも、以前に底を張り替え、革の継ぎ目を直したりしてずっと使っていますね。

 

三足とも「Timberland」ブランドの靴なのですが、いま同ブランドはこのようなデザインの靴をつくっておらず、どれももう代えがききません。似たのを探しても、他にはもうこういう靴がない。底が減ったからといって捨てるには惜しい、お気に入りなんです。

 

底が減っただけで、あとは表面の革が少し傷んだくらい。修理に出して、それを補修で改善してくれるようにお願いしました。それが出来上がってきて、よし、また履けるな、と思うとやっぱり嬉しいものですね。

 

修理の費用は、実際のところ、この靴を買った時よりもかかっています。正直かなりの出費ですが、でも、そういう問題ではない。自分の気に入ったものを永く使う、そのことの方が私には大事です。

 

私のもとに帰ってきた靴たちを、同じ私の大事な「あし」である、愛車フォルクスワーゲン・ニュービートルの上に置いて、写真を撮りました。私にとって両者は、同じような感覚をもって接するものだから。

 

共に「あし」と呼ぶべき日々の移動の道具で、そのデザインを気に入って使い、日々の動きに酷使しながら、段々と自分の一部になっていく。そんなところがよく似ていると感じます。

 

車も、私の志事ではなくてはならないもの。いま走行距離は15万キロほどですが、まだまだ頑張ってほしい。もう走れなくなっても、他にほしい車はないくらい、大事な存在です。

 

自分にとって良いモノを永く使い、その時間の中でモノと心を通わせていく。そんな関係が私にとって心地よく、そうあるべきだと感じるのは、やはり私が生業とする「家をつくる」ことと、無関係ではないはず。

 

日々を心地よく、そして永く住み続けられる木の家。その家に私が求めるもの、理想とするものも、やはり靴や車といった「あし」に求めるものと大きくは同じ、変わりません。

 

永く使うという気持ちをもってモノと接することで初めて、心が通う。それはモノの大小とは全く関係のない、人間の心を豊かにしてくれる感覚だと思います。きっと、私にとって失いたくないのは、モノそのものよりも、この感覚なんでしょうね。

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