じかんといのちの家

2015-10-11 10.33.43

〈小国ツアー2日目のクライマックスは、巨樹の伐採を目の当たりにすることでした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

木想家の材の故郷を訪ねる旅、今日はその2日目でした。昨晩は、大分との県境にある杖立温泉でお宿の湯と食を満喫して、皆さん元気に今日の行程スタートです。

 

朝起きたら雨が降っていたのでちょっと心配しましたが、ほどなく上がって晴れ間ものぞき、予定通りの動きが出来ました。昨日は製材所、そして今日は貯木場、乾燥場、そして何と言ってもこの旅最大の見もの、山での伐採現場見学です。

 

木の家づくりをしている方、考えている方も、実際に山に入って伐採現場を見る機会がある方は、ほとんどおられないでしょう。しかし、「山に生えている樹を伐って、それが木材になる」という事実は、頭ではわかっていても、これを見ないと本当の意味でわかることはない、そう感じます。

 

私は仕事柄、何度もこうした伐採現場に立ち会ってきましたし、この小国ツアーでもよく見ています。しかし、今日ほどの感銘を受けたのは初めて。今日は、100歳を超える太い太い小国杉を伐ったのです。

 

林業の世界では、木の年齢を呼ぶのに「年生(ねんせい)」という、学校の生徒と同じ呼び方をします。今日の樹は100年生かそれ以上、私たちよりずっと先輩です。おそらく4、5代前の山主が植えた杉、それを伐るところを見られるとは。

 

小国町森林組合に所属する伐採のプロが、二人組でこの巨樹を伐り倒してくれました。ワイヤーを張って倒れる方向をコントロールし、素晴らしく斬れるチェーンソーを使った、まさに見事な職人技でした。

 

冒頭の写真は、倒れた巨木の周りに集まって、プロにその技のことなど色々と質問している参加者の方々の様子。皆さん、すごい迫力の伐採を間近で見たからか、気持ちが高揚しておられるように見えます。

 

私も、そのプロの技、その迫力に強い感動を覚えました。そしてそれ以上に、今回の小国ツアーで、林産地である小国町の皆さんが、私たち参加者に伝えたいこと、それが改めて胸に迫ったんです。

 

それは、林業という志事の時間、樹が育っていく永い永い時間を、木の家はその材料の背景として持っているということ。そしてもうひとつ、そんなに永い時間を生きた樹の、その命を奪ってこそ木材はつくられるのだということ。

 

理解しているつもりでいたその事実。しかし、100歳を超える巨樹がその生命を終え、木材へと姿を変え始めるその最初の瞬間に立会って、その大きな意味が、そして己のもつ大きな責任が、心に押し寄せてくるようでした。

 

樹木が生きてきた時間と、その生命そのものもいただいて、そこから始まる木の家づくり。その大きな尊厳を知ることで、さらに木の家がその内に秘めた大きな意義を、今日ご参加の皆さんも感じてくださったことでしょう。

 

そして私が抱いたのは、その意義を全うする志事に就いているということへの、感謝の念。木の家の材の故郷を訪ねる旅、その本当の意味とは、そうした大切なことをそれぞれに心に受け取ることにこそあるのだと、やっと識った気がした今日でした。


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