柱のきずから

2016-03-18

〈家にいることが多かった週末、家そのものに想い出が積もっていることを感じました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日はまたちょっと「我が家ネタ」におつきあいくださいませ。ここのところ「主夫」で家にいることが多かったのと、娘の卒業式があって久しぶりにある「行事」を意識したものですから、忘れないように記録しておきます。

 

冒頭の写真を見ていただければ、その「行事」の意味はもうおわかりでしょう。これは、我が家の「家族の間」、造付けソファの横にある柱。この家で一番太い、いわば大黒さんですね。そこにいくつも線と文字が書かれているのは、子どもたちの身長のラインと、その日付です。

 

この家を建てて入居したのは、2004年の11月。その時、長女が8歳、長男が5歳、次女が0歳でした。その時から、何か子どもたちにとっての「節目」のたびに、この柱にその時の身長のラインを書きこんできました。

 

「柱の傷はおととしの 五月五日の背比べ」なんて唄がありますが、我が家では子どもの日ではなくて、例えば誕生日とか、今回のような卒業式とか、そういう何かその子にとっての記念の時につけるのが、いつからか習慣になっていますね。

 

三人分の書き込みですから、いまやもうゴチャゴチャで判読しにくいところもあったりしますが、でもやっぱりよいものです。一番下のあたりの線を見てみると、三人三様に、4歳や5歳の頃のものがありました。こんなにちっちゃかってんなあと、しみじみ。

 

そして、この柱の一番上にある書き込みは、長男が高校に入った時のもの。それはもう、私の背よりも上にあります。今はさらに伸びているのではないでしょうか。この線を見ると、彼に身長で抜かされた時の嬉しいような、ちょっと寂しいような気持ちを想い出しますね。

 

そして今回、次女が小学校を卒業しました。でも、まだその分は付けていません。本人に聞いたら、「入学の時でいい」と。彼女は今伸び盛りなので、きっと前回2015年の誕生日の時よりずっと上に、2016年4月の線が引かれることでしょう。

 

1歳になるまえに入居したので、彼女はこの木の家しか知りません。それは贅沢なことだと思うのですが、人間とは「無いものねだり」をするもので、チラシに載ったマンションの部屋を「こんなんがいい」と言い放ち、私をクラっとさせたりもします(笑)。

 

でもまあそのうち、わかってくれるかな。彼女の線がこの柱の上の方に引かれるようになる頃には。今回そんなことを考えつつ、奥さんと子どもたちの晩ご飯をつくったりしていたのでした。

 

せっかく建てた木の家ですから、長男か、他の子か、誰かが住み継いでいってほしい。親としてはそう希望しています。そしてその時、大人になった彼らと、この柱の傷から想い出をよみがえらせて語る、そんな時間がもてたらなあ、と。

 

家の中で一番の場所にある大黒柱。そこにあるたくさんの書き込みは、その時々の子どもたちとの時間。この柱は家族と共にあって、まさに想い出を刻んだ「記憶の柱」へと成長したんですね。

 

同じく記憶を刻んだ椅子のことを一月に書きましたが、その椅子も近々代替わりです。そう思うと、この家に来てからの時間が節目ごとに封じ込められたこの柱の重みが、なおさら感じられて。

 

思わず柱をさすり、しばし記憶と戯れるひととき。いや、春とはなんだか、そんな気分になる季節なんですね。


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