前後の考察

2016-04-24

〈今日の写真は「木の空間」のbefore・after。本文と関係ありそうで、あまりないんです。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。今日は私のちょっと変な物思い、考察に少しおつきあいくださいませ。

 

今月7日のこのブログは『日本語 表と裏』という本を採り上げました。「言は民なり」と題して書いたのですが、いま、実はその続編を読んでいます。タイトルは『日本語 根ほり葉ほり』。同じく森本哲郎氏の作。

 

前作と同じく、日本語の表現から日本人の特質を炙り出す、という主旨のエッセイ集です。まだ読んでいる途中のこの本ですが、ある「謎」から大きな衝撃を受けて、実はここ数日そのことばかり考えていたんです。

 

それが、今日のタイトル「前と後」という言葉についての「?」です。私も今までの人生で全く意識していなかった、しかし考えてみると非常に不思議なこと。時間と空間の「前後」の違い、とでも言いましょうか。

 

私たちが暮らしている3次元空間において、「前」とは文字通り自分の前のことです。「後」とはうしろ、自分よりも後方のことで、これはあたり前の話。では、時間の場合はどうですか?

 

時間においては、「前」はこれから進んでいく未来のことではないですね。そう、過去のことなんです。「一時間前」という言い方が、まさにそれを表しているし、他にも「前から知っている」という言い方もありますね。

 

そして「後」が未来のことなんです。「一時間後」と言いますし、「ちょっと待って、後でね」なんて言ったりします。これ、あたり前に使っているけど、考えてみると何か変じゃないですか?人間は、時間においては後ろ向きに進んでいるのでしょうか。

 

そして、驚くべきことに、この時間と空間における「前後の逆転」は、英語の「before・after」でも同じなんです。では、人間の空間認知と時間認知の表現はなぜ逆転するのか。

 

ちなみに著者・森本哲郎は、「前向きに善処する」という言葉の項でこの謎に触れています。そして「先(さき)」という日本語について、「前」にも「後」にもなる、というこれまた重要な指摘をしている。「先ごろ」「先ほど」は過去、「三年先」は未来ですよね。

 

しかし、この前後の逆転については明解な答えが出ていません。なので私もそこから読書そっちのけで、しばらくそれを考えました。そして私が最初に思いついたのはこう。『人間は「既知」を「前」と、「未知」を「後」と表現する。』

 

自分の視界にあって見えているもの。そして、過去に起こって自分が認識できているものが「前」。そして自分から見えないもの、これからどうなるかわからないものが「後」、なのではないかと思ったんです。

 

そこでもうひとつ、著者の引用がポイントに。カントいわく「人間は時間を思い浮かべる時、必ず空間的なイメージで考える」というのです。そして『方丈記』の冒頭の言葉を引いている。「ゆく河の流れは絶えずして・・・」というあれです。

 

確かに、時間は流れているもの、という認識を皆さんおもちではないでしょうか。私もそう思っていますが、ではどのように流れているのかといわれれば、言葉にすることは出来ませんね。

 

そこまで考えて、はたとイメージが浮かびました。時間の流れは、人間のわからないところから流れてきて、それが自分の目に見えた時には、既に過去として向こうへ流れ去っていく。まさに、後ろから来て前へ流れていく。

 

そうか、人間が進むんじゃないんだ。空間ではそうですが、でも時間の中を人が進むのではない。そこを混同していたと気づいた時、「前と後」の疑問は、ストンと腑に落ちたのでした。

 

ということで、今回の納得。「人間とは、時の流れの中に佇む存在である。」

※すいません、長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。


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