居場所は一畳

2016-04-26

〈小ぢんまりとした場所で、自宅プチリフォームの検討。久しぶりの居心地のよさです。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は午前中、自宅で志事をしていました。自宅をまた少し、プチリフォームする方法を考えていたんです。昨年3月末に、長男の部屋をオープンな空間から間仕切りした、その続編を。

 

昨年のその様子は、「さえぎるべき時」としてこのブログにも書きました。うまく間仕切りが出来てご満悦だったはずの彼ですが、今度は上階の姉の部屋との間にある障子が気になるという。

 

文句の多いやっちゃな、と思いつつも、まあ多感な時期を過ごしているもの同士、こちらも一時的に遮ってやってもいいか、と、その計画を練っていたんですね。設計士の親もたいへんです(笑)。

 

そして、前回のブログにもちょっと写真で登場していますが、それを考えていたのが、冒頭の写真の場所です。息子の部屋から少し上がって入る、山口家で唯一の「和室」。その広さはジャスト一畳であります。

 

写真では、畳の右側は吹抜けに見えていますね。ここは1階から2階に上がる階段です。そしてこの畳の下は、一帖のトイレ。我が家はちょっと変わっていて、階段の踊場にトイレがあるんですよ。

 

そしてその上に一枚だけ畳が敷いてある。その高さは、2階の床から1メートルという中途半端なあたりです。2階とも、3階ともつかない、いわば「中3階」と言う感じの高さ。

 

畳が全くない家よりも、家の中に一枚だけ畳がある、という家は、逆に珍しいのではないでしょうか。でも、私はこの一畳のスペースがとても好きです。部屋ではなく、階段という吹抜けに向けて開かれたこの「居場所」が。

 

ここは、私の中では「読書」のためのスペースです。北側に大きな窓をもち、小ぢんまりとしながら、でも狭苦しくない、自分一人がくつろげる場所、という感じで考えました。奥の壁には、壁付けタイプのスタンドのような位置を調整できる灯りもついていますね。

 

ここで本を読んでいて、ちょっと休憩とばかりに寝っ転がると、階段のさらに隣りにある「家族の間」をちょっと上から見通す位置になります。その「抜け」も、読書の合間に目を遠くへやるのにいいな、と思って。

 

子どもたちも、小さい頃はこの一畳のスペースをよく使っていました。読書もですが、ちょうどダイニングテーブルからよく見える「舞台」になるので、そこで歌や踊りを披露してくれていました。とても楽しい想い出です。

 

いまや子どもたちもそれぞれに大きくなり、家族の団欒のあとは、自分の部屋が中心になっています。息子の部屋を仕切ってからは、そこからしか上がれないこの場所は、最近使われていなかったんですね。

 

今日、私も久しぶりにここへ上がって、プチリフォームのことを考えましたが、いや、やっぱり気持ちがいい。それはそうですね、自分が気持ちがいいように設計しているんだから(笑)。

 

でも、こういう気持ちよさを知っていると、本当に「家とは部屋数ではない」と思います。人の「居場所」をどのようにつくるか、なんだと。わずか一畳のスペースが、その狭さゆえに心地よくなる時もあるんだ、と。

 

もちろんその「居場所」の心地よさには個人差があります。そのご家族の、その人ならではの心地よさに、空間というかたちで応えることができたなら、それは本当に素晴らしいこと。

 

ちょっと忘れかけていたそんな空間づくりの醍醐味、この一畳の和室から、また感じました。自分の好きな居場所は、それをつくる志事の人間にとって、常に己の鏡だ。そう想い知る時間でした。


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