街のすがた

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〈日本で最初のニュータウンで木の家づくり。ご両親から聞く往時の姿と現状から、その未来を想います。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日はまた新しい木の家づくりのスタート、めでたい地鎮祭でした。お客さまご家族とともに、敷地の四方をお清めし、土地の神様に手を合わせました。

 

この敷地は、千里ニュータウンにあります。私はいま阪神地区の担当ですが、こちらのお客さまは私が芦屋に移るより以前からのおつきあい。最初にお会いしてから3年、当初から想定しておられた着工の時期にいよいよ至った、というわけです。

 

今まで何度か千里ニュータウン内で建替えの家づくりをさせていただいており、他のお客さまからも話を聞いておりますが、この街が出来たころ、戸建住宅エリアには平屋建切妻屋根の住宅が並んでいたそうですね。

 

これはWEBで見つけた写真。津雲台あたりの住宅らしいです。

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千里ニュータウンの計画は、昭和30年代はじめにスタートしています。高度経済成長や戦争特需によって生じた住宅不足に対処するため、森と竹藪だった千里丘陵を開発するという、大プロジェクトでした。

 

造成面積は1000ヘクタール以上、集合住宅、戸建住宅を併せて3万戸の住宅を建て、人口15万人の新しい街をゼロからつくるという、まさに前代未聞の桁外れな巨大事業だったんですね。

 

そして、第1期の入居が昭和37年。54年前です。阪急の延伸、北大阪急行の開設でアクセスがよくなり、何より昭和45年の万博で知名度がアップ、昭和50年に人口が約13万人になったと、記録にあります。

 

実は、この敷地の道向かいに、その当初のままの平屋建住宅が2軒並んで建っています。そして今日、お母様がこんなことをおっしゃいました。「引っ越しの中で、前の家が出来た時の写真が出てきたんです。今度山口さんにお見せしますね」と。

 

そしてそこからしばらく、お父様お母様に、ご入居当時のお話を聞かせていただきました。ずっと同じタイプの家が並んで、石垣や階段も同じ。お隣さんと間違いそうになったりもした、なんてお話を。

 

50年以上前、一斉にできた、すごい数の新築住宅たち。でも、その当時のものが2軒並んで今も建っているというところは非常にめずらしく、殆どのお宅が建て替わっています。今回の建替えも、何度か増改築を重ねて住んでこられた上でのご決断でした。

 

街の姿は50年ですっかり変わり、いまや色んな考え方の、色んなビルダーによる家がてんでバラバラに並んでいます。当時とは世情も全く違ういまの、これが日本の街のあり方。日本で最初の大規模ニュータウンにあるこの敷地で、その変遷を改めて強く感じた次第。

 

もちろん、当初の画一的につくられた住宅が建ち並ぶ街の姿と、今の現状とどちらがいいか、という話にあまり意味があるとは思えません。しかし当時と今とでは、「暮らし方」や「家の寿命」についての考え方が大きく変わっている、それは間違いのないことでしょう。

 

では、今から50年後、この街の風景はまた大きく変わっているのでしょうか。私が想像するに、残念ながらおそらくその可能性は高い。街の姿をなるべく変えない、という視点をもっているつくり手は少ないであろうからです。

 

今から着工するこの木の家が、果たしてどれだけの年数生き続けるか、それは私にもわかりません。しかし永く生きる家とは、ひとつには日本の気候風土に合った家であり、それに沿ってつくるならば、個々の家の姿はそう奇抜にはならず、街の姿は整ってくる。そう私には思えます。

 

そしてもうひとつ、永く住み続けられる家とは、耐久性と柔軟性、そして何よりもお客さまと一緒につくりこんだ「愛すべき我が家」であることでしょう。その愛着こそが世代の壁を超えるのですから。

 

街の姿を変える、変えないとは、満ち足りた国である今の日本においては、その2つの視点の有無にかかっている。地縄の張られた敷地で、そんなことを想った私でした。


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