おなじ芯から

2016-05-29

〈木の家の完成見学会。この家ならではの工夫と、その根本の意味を説明する時間でした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は、宝塚で竣工を迎える木の家の、完成見学会でした。これから家づくりを考えていく方々の参考になれば、というお客さまのご厚意により、この機会をもたせていただきました。

 

ご予約くださった何組かのお客さまがご来場され、それぞれの担当スタッフがこの家のご説明をして差し上げます。でも、私が今日お迎えしたのは、いま家づくりを一緒に進めているお客さま、そして一足先にご入居された住まい手さんも。

 

この家のお客さまも含め、昨年10月の「阿蘇小国ツアー」で一緒になった方々の間には、一緒に木の家の木材が出来るまでを見てきた、という連帯感が生まれ、それがお客さま同士のご交流へとつながっています。

 

もう住んでいる人、家が出来た人、いまつくっている人。そんな方々が、「木の家」をめぐって話が弾ませておられるのを見せていただくことは、何とも言えないつくり手の喜び。今日もそのありがたさを噛みしめる時間でした。

 

そして今日、私がそれぞれのお客さまにも申し上げたことですが、KJWORKSの「つくりたい家」というもの、そのエッセンスは、いつも同じです。でも敷地が違い、住む人が違うので、その「かたち」への表れ方が違っているだけ。

 

プランをつくる私は、正直言ってそんなに器用ではなく、考え方の面での「持ちネタ」はそう多くありません。でもその数少ない考え方は、実際の「かたち」へと結実する際には、無限のバリエーションを生む。そう思います。

 

例えば、冒頭の写真です。薪ストーブの両側に障子が見えていますね。この向こうに和室があるんです。家全体も柱が見える「真壁」というつくり方で、障子はそのインテリアによく合って、しかしストーブとも違和感なくおさまっている。

 

これを和風とか洋風とか言って批判することもできるでしょうが、しかしこの空間のエッセンス、その「芯」と呼べる考えかたは、そのレベルのものではありません。それは「開閉自在の連続空間、その開放感」ということなんです。

 

この障子は二枚とも中央の壁の後ろに引きこまれて、向こうの和室までがひと繋がりの空間になる。さらに和室の床はこちらより一段高く、開放した時にはその段差が椅子のように「人の居場所」になる。

 

他の家の間取りでも、このような「開閉自在な空間」は頻繁に表れています。それは、暮らしの中での「シーンの変化」に建物が追随するために、とても便利な装置となるからです。

 

私が思うに、そういう「同じ芯から派生した、違うかたち」であることを感じておられるからこそ、それぞれに全く違う家をご提案している方々に、こうした共通の会話が成り立っているのかもしれません。

 

ではその「芯」はどうやったら出来るのか。それはなかなか一言では言い表せません。経験によって育まれた知見といえるものですし。でも、どういう「芯」をもっているかが、そのつくり手の個性に他ならない。それは言えると思います。

 

どのような「芯」をもって家づくりをしているのか。それは人によって色々でしょう。でも、どんな芯であれ、それをしっかりと自覚できているなら、それに共感してくださる方はきっと現れるのではないでしょうか。

 

その「自覚できている芯」こそが、己の「矜持」を生む。そして矜持なくして、志事の実りはない。親しげにお話をしておられるお客さま方の姿を見ながら、自分が芯として育んできたものはそう間違いではないんだな、そんな想いを浮かべていた私です。


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