交感する世界

2016-06-08

『タオ・コード ~老子の暗号が語り出す』   千賀一生 著   徳間書店5次元文庫

 

※今日から書評の時には、最近いたく感動した以下の言葉から始めることにいたします。

「本を開いたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

数秘の術で私を診てくださった津村さんから、この著者・千賀一生という人のことを教えていただきました。その著書を何冊か見比べて、気になったものをゲットしたのが本書です。著者を教えてもらったら、まず表紙でピンときたものを読んでみる。いつもそうですね。

 

ですから、何の先入観もなく読み始めましたが、これは何とも変わった本でした。老子についての新しい解釈、というか、そこに隠されている別の意味、という本でしたね。そしてその別の意味は「性」だと。

 

手に取って、表紙に色々書かれている文章を読んだ時点で「?」でしたが、読み進みつつ、やっぱりちょっと驚きましたね。老子の思想「道(Tao)」というのが「性」を説いたものだと言うんですから。Taoと発言する言葉自体に、その二重の意味があるのだと。

 

なんと面白いことを言う人やなあ、ほんまかいな?と思いつつ、でも文章は読みよいので、続けていきます。そうしたらそのうち、段々と私の感覚と近いものが描かれていることに気づき始めました。

 

人間のセックス、そしてそれに伴うエクスタシーというのは、もっと大きな「性」というもののほんの一部であること。大きな性とは万物との「交感」であり、真なるTaoとはそうした不変なる宇宙のはたらきのことである。本書にはそうしたことが述べられています。

 

正直、この著者による老子書の秘儀が本当なのか、それは私にはわかりません。しかし本書で述べられている、著者が中国の奥地で体験した少数民族の村での体験には、少なからず感動できました。

 

裏表紙から引用しますと、それは「隠された老子の教えを純粋に継承し、生命の喜びに満ち溢れた人々の姿」だった。その人々の日々の暮らしから、著者はその「聖なる性」たるTaoを体で感じられるようになった、というのです。

 

私は、人のセックスというものを「男女の最も濃いコミュニケーション」と理解しています。無論その方面に経験豊富な人間ではありませんが。セックスのことを「愛の交歓」なんて言ったりしますよね、本書で頻出する「交感」という言葉に、それを連想したりしました。

 

そして、著者が訪れた村の人々は、周囲の大自然のもの、木や花や水と交感をして生きている。それは一見ひとのセックスとは違うもののようですが、でもそれが本来の大きな「性」というくくりの中の、別のあらわれなのだという考えは、私にはすっと受け入れられるものです。

 

この村に生きている、そして実は世界各地に今でも細々と残っているものに「性器崇拝」があります。著者は、現代人がすっかり「隠れてするもの」にしてしまった「性」とは、古代にはもっと大らかで、なおかつ自然界全てを網羅するものだったという考え。

 

これ、とてもよくわかるんです。日本の昔話を読んでも「木の精」や「滝の精」などが出てきますし、ヨーロッパ世界にも「精霊」という考え方がありますね。そしてアフリカの民族や、インディアンなどにも。

 

そうした精霊たちと交わることも、大きな「聖なる性」の一部であり、人のセックスでの恍惚感とは、そうした大きなものの中で得られることの模倣としてのTaoである。なるほどこれは、「アミニズム」と呼ばれる世界観に「性」という働きを挿入したものですね。

 

読み終えて、やっぱり変わった本だったな、と思いました。でも、老子どうこうではなく、この世界のあり方について、肌の感覚で「正しい」と感じられる部分が多々あったのは確かです。

 

最後に、本書でぐっときた一文を。

「欲という欲は、得られない愛の代償として生まれる。真の愛のあるところに欲は生じない。」

この愛こそグレート・タオから生まれるものだと。これ、袋小路に陥った現代文明への批判であり、光ともなる。そんな気がしませんか。


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