撒き餌とトリック

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『葉桜の季節に君を想うということ』       歌野晶午 著         文春文庫

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

前回に引き続き、「新感覚ミステリー」をもう一冊。「伏線回収の傑作」の謳い文句に惹かれ、何冊かゲットしておる次第であります。そして、この著者の作品も全くの初めて。最初名前が読めませんでした。

 

前回採り上げた『アヒルと鴨のコインロッカー』は、現在と2年前の2つの話が徐々にシンクロしていく物語でしたが、この『葉桜〜』は、前後関係がよくわからないいくつかの場面からスタート。

 

物語は、主人公の一人称になったり、三人称になったりしながら、複数のシーンのまま進んでいきます。やはり前後関係、相関関係はよく見えず、でも意外と混乱せずに読み進めていけました。軽快感のあるその文体のせいでしょうか。

 

お年寄りがたくさん集まっている「健康機器・健康食品」のイベント、そして、何やらそれと関係のありそうな、保険金殺人。その真相解明に向けて活躍する主人公の姿、それを取り巻く人々が描かれます。

 

途中、かなり長く主人公の過去の体験が語られ、これが結末にどう効いてくるか?と思う。その時点でもうこの物語に引き込まれている証拠ですね。そして、やはりこれがミステリーの醍醐味でしょう、段々とバラバラだったストーリーが収束してくるあたりを読む楽しさ。

 

そして結末に近づいた時、大きな驚きが待っています。私も思わず「えっ!?」と声が出ました。電車の中で(笑)。物語が一つにまとまっていく、そのまとまり方が「そう来る?」という感じなんですね。

 

伏線回収の傑作という触れ込みで読み始めた本書、最後になってその意味もよくわかります。それらは全てあるトリックをより巧妙にするため。それは事件の犯人が仕掛けたトリックではなく、作家が読者に仕掛けたトリックなんです。

 

タイトルも、冒頭の性行為の場面も、そして文中の様々な表現も、すべて読者を欺くための撒き餌なんですね、伏線という名の。終章に至って犯人の仕掛けた罠が見破られるのではなく、読者は自分が作者の思い通りに「読まされていた」ことに気づく。

 

本書を読んで私は、筒井康隆の作品『ロートレック荘事件』を思い出しました。きっと作者も知っていて、アイデアの元にしたんじゃないかなあ、と思いましたね。

 

両作に共通するのは、「映像化不可能」ということです。前回の『アヒルと鴨のコインロッカー』もその筈が、映画化されたと言う。でも本作は、映像になった瞬間に物語が成り立たなくなるのですから。

 

いやいやいけません、ネタバレはもうこの辺で。でも上の文を読むとおよそ見当がつくと思いますが、そのキーワードは「時間」です。

 

伏線という撒き餌を味わって、しかし最後に作者のトリックに上手く釣り上げられる。そうした、事件解決とはまた違う「そうだったのかあ!」の愉しさ、これもたまには良いもの。もしご興味あれば味わってみてくださいませ。


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