捨てられて捨てられぬもの

2016-07-28

『藤田嗣治展 ~東と西を結ぶ絵画』   兵庫県立美術館

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

昨日は午後からお休みをいただいて、この企画展示へ行ってきました。フランスで最も有名な日本人画家、レオナール・フジタこと藤田嗣治(1886-1968)の回顧展です。私も以前からあの、彼にしか描けない絵にとても興味があって。

 

本展は、ごく初期の作品から、最後の作品と言われる「平和の聖母礼拝堂」の壁画まで、非常に多くの作品がずっと時代を追って展示されています。興味はあったけど今ひとつ知ることが出来ていなかった彼の人生とその作風の変化を楽しめるものになっていました。

 

「レオナール・フジタ」は、彼が最晩年にフランス国籍を得てからの洗礼名。それはなんとなく知っていましたが、その名がレオナルド・ダ・ヴィンチからきているということは、今回初めて知りましたね。

 

また、なぜフランス人になったのかという事情についても、今回のたくさんの作品たちから伝わるものがあったんです。戦争という時代の波の中で彼の求めたもの、与えられたもの、その狭間での苦しみも。

 

さて、藤田といえば何と言ってもその絵の特色は「まるで象牙のような乳白色の肌」でしょう。油絵具を薄塗りした下地の色面を活かし、そこに面相筆で一気に描いた細い細い線。どこか春画のようなエロティシズムを感じさせる、彼ならではの技法です。

 

その「どうやって描いたか」を、藤田は生涯他人には秘密にしていたらしい。近年ようやく判明したのは、この筆の細い線は油絵具の面の上に「シッカロール」を付けた上に描いたものだということ。土門拳が撮った彼の制作風景から、それが明らかになったのだそうです。

 

そうした技法でフランス画壇の寵児になった藤田は、第二次世界大戦でパリがドイツに占領される前に帰国し、従軍画家として戦争画を手がけます。そしてそれが敗戦後、戦争協力への批判となって藤田を襲う。そしてまた、逃げるようにフランスへ。

 

今回、彼の人生をたどるように作品を見てきて、我々はもっとこの数奇な運命を生きた画家のことを知るべきだと感じました。近年ようやくこうした企画展が催されるようになりましたが、永らく藤田は「日本人だけが知らない日本人画家」だったのですから。

 

若き日に画家を志すも、当時の日本画壇と作風が合わず批判され、渡欧。そこでも貧窮を強いられた末に、彼が己の新たな画風として使ったのは、日本画の技法でした。

 

そしてまた帰国しての敗戦後には、「人の心を動かす絵」として注力した戦争画の責任を問われ、批判され、再度日本を去る。こうして二度も日本という祖国に捨てられた彼の哀しみは、いかばかりだったでしょうか。

 

そしてまたフランスで彼が描き始めたのは、かつての「乳白色と細い線」でした。しかし二度目のそれは、全く違う。なんというか、「凄味」が違う。技法の熟達ということだけでなく、やはり深い哀しみがそこに宿っているようでした。

 

2016-07-28-2

私が今回最も感動した作品がこれ。『夢』(1948年)です。

 

別の見方をすれば、藤田は外国人に「受ける」技法を絵に取り込んで時代を生きたのだ、とも言えるでしょう。しかし、少なくとも昨日の私にはそんな風には思えませんでした。

 

日本に捨てられ、しかしフランスでも「異国人」である。その哀しみの中でさえも彼が捨てられなかったものが、この描き方だったのでないか。そんなことを感じましたね。

 

それが正しいかどうかはわかりません。しかし藤田が最後に行き着いた宗教画は、やはりその哀しみが導いたものでしょう。そこにも、面相筆の線は生きている。

 

この企画展、9月22日まで開催されています。最後にフランス人にならざるを得なかった日本人画家・藤田嗣治に、是非皆さんも会いに行ってみてくださいませ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です