モノへのいりぐち

2016-07-29

〈これ、事務所のPCで雑誌を眺めているところ。「家庭画報」です。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日も事務所で黙々と作業する一日でした。こういう終日の作業の時、それに退屈せず気持よく進めていくのに大切なことと言えば、ひとつはBGM、ひとつは適当な息抜きではないかと思います。

 

今日もしばし集中、そして時々休みつつ作業していたのですが、その時に私がしていることを改めて考えてみて、何かちょっと怖くなるような感覚を覚えたのでした。それは「メディアのもち方」について、です。

 

今このブログを書きながらも、私のPCからは音楽が流れています。これは「Amazon Prime Music」というサービスで選んだもの。今は「仕事がはかどるクラシック」というプレイリストが流れていますね。

 

私はAmazonのプライム会員になっています。この年会費は3900円。月額では325円ですね。そして、このプライム会員の特典が実にすごい。上のPrime Musicもそのひとつで、100万曲以上が聴き放題。オンラインでも、ダウンロードしてオフラインでも聴けます。

 

他にも「プライム・ビデオ」というのもあり、これは映画やドラマの見放題サービスです。超大作、人気作は別として、色んな映画を観ることができる。私も時々、志事を終えてから観て楽しんでいますね。

 

それともうひとつ、最近ですが「dマガジン」というサービスに加入しました。これは雑誌の見放題サービス。色んなジャンルの160冊の雑誌を画面上で読むことができるのですが、これが月額400円。

 

私がこのサービスの加入を決めたのは、実は「家庭画報」が読めるということでした。今日の冒頭の写真は、その最新号の1ページを画面上で開いているところ。とにかくビジュアルが美しくて勉強になる、好きな雑誌です。

 

でも、毎号は買えないし、とにかく重くて嵩張る雑誌だし、こうしてPCやiPhoneで見られたら嬉しい。また、「収集心」のヒトである私には、他の雑誌もちょっとつまみ喰いしてみたい時がありますので。

 

そんなことで、音楽も、映画も、雑誌も、こうしたサービスを活用しています。とても便利なのですが、ふと考えてみると、その「メディアのもち方」が、このほんの何年かで大きく変わってしまっていることに気づきます。モノも、サービスも、コストも。

 

とにかく全てが電子化され、モノから離れていくのが今の時代なのでしょうね。確かに「本離れ」「新聞離れ」という言葉もよく聞くようになりました。今日はそれに改めて思い至ってちょっと怖くなった、というわけなのでした。

 

こういう電子化メディア、それも定額サービスが進んでいく時代には、旧来のそうしたメディア提供の業種は、大きな変革を迫られていくはず。2016年のいまは、まだその過渡期なのかもしれません。将来こうしたベクトルは、一体どこへ向かうのか。私には正直、想像がつきません。

 

でも、少なくとも私はいま、モノからまだあまり離れてはいない。そう自分では思います。雑誌は電子化でもいいけれど、その中で本当に欲しいものがあったら買うと思いますし、書籍は手で頁を繰って読みたいです。Kindleはそれが出来ない時の非常手段かなあ。

 

映画館へ行って観て、欲しいものはDVDを買います。音楽も、Prime Musicで聴いて好きになったらCDが欲しくなります。その「物質として自分の手にあること」の嬉しさというのが、やっぱりあるから。電子メディアは、私にとってはモノへの入口なんですね。

 

思うに、私たちの親の世代には、逆にメディアを物質として手にもつことの困難、というものが大いにあったことでしょう。そして想像するに、私たちの次の世代には、もっとモノを所有することへの執着は、薄くなることでしょう。

 

現代がどういう時代か、私はそれについて語る能力をもちません。でも自分の感覚として、こう想います。メディアをモノとして思うまま所有でき、そして電子化メディアも知りつつその両方の使い分けが出来る。それはなんと幸せなことだろうか、と。

 

デジタルがいくら進んでも、モノはなくなりません。物質としてのメディアも、おそらくなくなることはない。人間に手がある限り、きっとそうだと想っている私です。


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