石と意志の巨人

2016-08-07

『シナン(上下巻)』   夢枕獏 著   中公文庫

 

「本を開いたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

前々回のこの書評ブログで採り上げた『夢枕獏の奇想家列伝』。そこに登場し、なおかつ建築分野の偉人でありながら私がその存在を知らなかった人物、それがシナンです。

 

そして本書は、同じ著者によるシナンの物語。奇想家列伝でも述べられていましたが、現地での膨大な取材を経て著者が魅せられたシナンの姿をその独特の筆致で描き出した、上下二巻の大作でした。

 

シナンが生きたのは16世紀。日本で言うと戦国の世です。彼は、当時広大な領地をもっていたオスマントルコ帝国の王(スルタン)、後に「壮麗王」と呼ばれたスレイマン大帝に使えた宮廷建築家だったんですね。

 

本書ではシナンの生い立ちから死まで、その一生を辿っていきます。スレイマンとの若き日からの因縁、友人ハサムとの関係、そして徐々に自分の才能を開花させ、権力の中枢へと近づいていく彼の姿を。

 

彼は100歳まで生きて、そしてその生涯で477もの建造物をつくったそうです。しかも、宮廷の首席建築家になったのは50歳。そこから大半の建築が生み出されたことを考えると、すごい数ですね。何と言っても、石造の巨大建築なのですから。

 

本書で彼は、非常に合理的な思考をする人物として描かれます。その出世の理由も、戦線で船をつくったり、橋をつくったり、それを卓抜な着想と冷静な判断でこなし、戦の主である王に認められたという経緯があるようです。

 

前例にとらわれず、目の前の合理を追求し、強い意志をもってそれを形にする男。彼と、そしてスレイマン大帝が共に願ったこと、それが世界で最も大きなジャーミー(モスク)を建てることでした。

 

それは、シナンの時代よりもさらに1000年前から建っている「アヤソフィア」を超えようとする試み。元々キリスト教の聖堂として建てられたアヤソフィアをイスラムの聖堂が超える。それが壮麗王の野望だったと言えるでしょう。

 

しかし同じものを目指しながら、シナンの目論見は少し違っていました。彼は、偶像崇拝を禁ずるイスラム教において、「神」の姿を空間そのものの形で描き出そうとした。本書を読むとそれが伝わってきます。

 

こういう外国が舞台となる話は、どうしてもカタカナの固有名詞がずらずらと並ぶ文面にならざるを得ず、それは正直言って読みにくい。私もそれが苦手で敬遠しがちなのですが、著者の筆力もあってか、本書にはそれを凌駕するほどの興奮がありました。

 

本書下巻の裏表紙にはこう書かれています。「薫り高きイスラム文化の根源に迫る渾身の歴史長編」と。確かに日本人がよくわかっていないイスラム文化の特色があちこちに描かれ、そういう異国情緒も漂ってくるようです。

 

そして、領地をめぐる覇権争いの世であった当時のヨーロッパでのイスラム教・キリスト教の事情なども勉強になる。このシナンの物語も、そうした宗教上の軋轢と大きく関わっているのですから。

 

スレイマンを讃えるスレイマニエ・ジャーミーを建て、そして次のスルタン、セリムのためのセリミエ・ジャーミーで遂にアヤソフィアを超えたシナンは、「石の巨人」と呼ばれたそうです。

 

本書からはその石の巨人が、少年の日から100歳に至るまで、ひとつのことに向かって一途に知識と経験を積み上げる姿が伝わります。そう、彼はきっと「意志の巨人」でもあったのでしょうね。

 

そんな、建築に生涯を捧げた400年前の巨人の物語。作中随所に散りばめられた詩もふくめ、異国の熱い風を感じてみたい方には、特にお薦めの一冊です。


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