人が先か輪が先か

2016-09-11

〈場づくりする方々の集いは、その少し違った立ち位置が刺激になります。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。今日はまた少し、私の考えごとにおつきあいのほどを。

 

朝から直行で、甲子園にあるレンタルスペース「まんまるみかん」へ。5月の回に続いてお招きいただいた、「ゆるシンポジウム ~場づくりする人たちの勉強会~」へと参加してきました。

 

常連さん方に加え、はじめてお目にかかる方も。皆さん、色々なかたちで「場づくり」をしておられる方、あるいはこれから「場づくり」を始めようとお考えの方で、私もその一端に加えていただいています。

 

私もいつも、自分とはまた違う「人が集う場」づくりの取り組みや運営者さんの生の声から、己を省みるいい機会だと感じて参加しています。そして終わってブログを書きつつその意味を考えるのも、恒例になってきた感じですね。

 

ちなみに、この「ゆるシンポ」への参加を通じて私が認識できたのは、「場」とは場所ではなく、そのスペースが及ぼす力の範囲のことである、ということ。そして、場所を運営しながら「場」を運営しない(マネージメントしない)ような形の「場づくり」もまたあり得る、ということ。

 

さて、今日の登壇者は、このブログにも何度か登場しておられる夙川のコワーキングスペース「コワクラ」の上原さんでした。コワーキングスペースとは「協働の場」、シェアできるデスクワークのスペースを提供するお志事です。

 

そして今日の発表は、コワクラで今まで取り組んできた「コミュニティづくり」について、その是非を自分に問い直すようなアウトプットと再考の記録でした。果たしてコワーキングにコミュニティは有るべきなのか、と。

 

参加者の方々をつなぐことを望む気持ちと、やってみてその方法に疑問をもつ気持ち、その間で揺れ動く運営者の想いが正直に吐露されて、ご参加の方々もそれぞれに自分に当てはめ、共感されていたようでした。

 

上原さんのお話を聞いて、私が感じたことはこう。人が集うことと、そこに集う人々の間に「輪(=コミュニティ)」がつくられること、その2つは一方通行ではなく、双方向の動きなんだなあ、と。

 

私自身は、木の空間をご利用くださる方々の間をつないでいく、ということはどちらかというと少ない。逆に、私自身の場づくりとは別のところにある人の輪が、紹介という形をとって木の空間に人を集わせてくれる。そう最近特に感じています。

 

逆に上原さんのコワーキングの場合は、「作業」をしにコワクラに集まってくる人々が先で、そこにどうすれば「輪」をつくっていけるか。それも、運営者の大きな負担にならない形で。そういうことに心を砕いておられるわけですね。

 

また、まんまるみかんの場合は、きっとそのどちらもがあるのでしょう。地域の皆さんの中に既にある「輪」の活動の場となることも、まんまるみかんから生まれる「輪」が地域に広がることも。

 

どちらがいいということではなく、人から生まれる輪と、輪から生じる新たな人との出会い、その双方向が共にうまく流れている時、その「場」にはよく血が巡っているというか、活発に動いていると感じられるのではないか。

 

とすれば、「場」とは「場所(空間)」を舞台として、「人」と「輪」が巡って織り成すもの、そうした流動体なのだろう。そしてその流動の仕方と、運営者の関わり方の違いが、その「場」の個性となるのでは。今日の私の思考は、そういう想いに着地しました。

 

ちょっと何が言いたいかよくわからない話で申し訳ありません。家づくりの思考はもうかなり出来上がっていますが、場づくりは自分の場合も試行錯誤のところがあるので、せっかく受けた刺激が薄れないうちに、思考として定着させたくて。

 

人が集うことには大きな喜びもあり、時に苦痛も伴うものだと思います。違う個性をもった他人との関係が増えていくわけですから。ならば、場づくりの営みからは「苦行」の側面はおそらく無くならない。

 

無くならないとわかった上で、自分に無理のない方向性を模索し続ける。それがその人に合った場づくり、なのかもしれませんね。


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