筆の猛者たち

2016-09-29

〈色んな江戸人の日記を読み、その記録価値と書き手の人物に想いを馳せます。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。今日は「書く」ことについて思ったことを、少し。

 

今月18日の書評ブログで、『下級武士の食日記』という本を採り上げました。そして久しぶりに読み返したその本の面白さから火が点いて、同じような「江戸人の日記」を扱った本を漁っていたんです。

 

そうしたら、他にも同様の本が色々あって、上記の他に五冊も私のところへ集まってきましたよ、冒頭の写真のように。どれも、江戸に生きた人々の日記を元にその時代を読み込む、という趣旨で編まれたものばかり。

 

まだ全てを読み切っていないのですが、いま読んだものだけでも非常に面白い。それは書かれた内容もそうですが、江戸300年の中でその日記を書いた人も違えば時代も違う、そして日記の趣旨も違っているということもあると感じています。

 

上記「食日記」は幕末の紀州藩士、酒井伴四郎の江戸詰め日記でした。そして、冒頭の写真で一番上にある『元禄畳奉行の日記』は、綱吉の治世の頃の尾張藩士、朝日文左衛門の日記です。

 

また、今読んでいる冒頭写真の一番手前、『江戸お留守居役の日記』の主人公は、家光の治世である寛永の頃、萩藩毛利家に仕えた福間彦右衛門の日記を題材としています。そして後の三冊も、それぞれに違う江戸人の日記のはず。

 

そして、例えば福間彦右衛門の日記は、完全に「業務日記」なんですね。毛利秀就の江戸藩邸を任された「お留守居役」として、その仕事の内容を逐一こと細かく綴っている。

 

それに対して、朝日文左衛門の日記は、全くの私生活日記です。「畳奉行」のお役目のことには触れず、己の興味の赴くままに身の周りの事件や交友関係のことを書いています。

 

どれも、今となっては当時の政治・経済・生活を知る上での貴重な史料と言えるでしょう。当時のそうした「日記帳」が現代まで遺っているということ自体が凄いし、そこから読み取れる生き生きとした人間像は、いわゆる公文書以上に歴史的価値がある。

 

また、当時そうした「筆まめ」達がそれぞれの意図によって日々の記録を文書に留めていたことにも、私はある種の感動を覚えます。彼らは何を想ってそれを日々綴っていたのだろうか、という思いと共に。

 

ちなみに私自身のことを白状しますと、学生の頃から「日記」をつけようとして挫ける、ということを繰り返してきました。続かないんですね、三日坊主というやつで。社会に出てからは、もう自分でも諦めました(笑)。私は筆まめではない、と。

 

でも、ここ何年かは、このブログが私の日記代わりになっています。その日あったことを書いたり、そうでなかったりしますが、でもその時に自分が思ったこと、感じたこと、興味をもっていることを書き記して、旅行に行く時以外は、毎日書いていますね。

 

ではなぜ日記を続けられなかった私が、ブログを毎日書けるか。それはおそらく、最初から「読者」がいるからだと思います。自分の備忘録としてだけのものは書けないけれど、書いて何かを伝えるという目的があれば、続けられる。

 

そんなことを感じながら江戸留守居役の業務日記を読むと、あ、これは後世の同じ役職の人間への伝達を意図しているんだ、と感じます。福間彦右衛門はそういう想いで書いている。

 

また、酒井伴四郎や朝日文左衛門は、おそらく私とは違うタイプの人間なのでしょう。日々の自分のことを書くことそのものが楽しいというか、それを記録せずにはいられない「記録魔」タイプ、というか。

 

すいません、ちょっとよくわからない文章になってきましたが、色んな江戸人の日記を読んでいくと、人は色んな動機をもって日々を文章に残すのだなあ、というような感慨があって、それも私には面白いという話なのでした。

 

しかし、一番驚くのは、どの日記も、十年、二十年と続いていることです。現代にもそういう方はおられるのでしょうが、私には信じられないことで、まさに筆の猛者たちですね。

 

私のブログも投稿数2000件を超えてはいますが、それとてまだ5年です。江戸の筆まめたちには到底およびません。そしてまた、私のブログが後世に遺るというようなこともまたあり得ないでしょう。

 

しかし、やはり「継続は力なり」で、こうしたブログを続けていることで私自身のためになっていることも、実は色々あるのだろうな。そんなことも、偉大な先達の日記から、ふと感じられたりもした次第です。


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