子どものままに

2016-10-07

『銀の匙』   中勘助 著   角川文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

しばらく江戸に浸っていましたが、今回は明治の東京下町を舞台にした物語です。私がこの本を手にしたのはあるWEB上の記事がきっかけ。それは、ある「伝説の国語教師」の話だったんです。

 

2013年に亡くなった灘中学・高校の元教諭、橋本武さんが、在職中この小説『銀の匙』だけを教材として、その一冊を3年かけて読むという授業をしていた、というのです。その教材に大いに興味をもちました。

 

そして、私の手元に届いたそれは、簡素で味わい深い装丁の、そしてあまり分厚くない文庫本でした。1985年初版の角川文庫旧版を改版し、装丁も新たに平成元年に出たもの、とのこと。

 

大正2年初稿のこの小説は、中勘助の自伝的なもの。少年時代の記憶にもとづいて描かれたこの物語は、その「銀の匙」というものの説明から綴られはじめます。

 

今も彼が時おり小箱から出して眺め、触れているその銀のスプーンは、古い茶箪笥の抽斗にあったもの。母に許しを得てもらったそのスプーンの由来を母が話してくれ、そこから幼年期、少年期、思春期の回想へ。

 

この物語を簡単に言うなら、病気がちでひ弱な少年の成長記、という感じでしょう。でもそう要約してしまうと、この小説の美しさは何も伝わりません。事細かに、しかもまるで音楽のように描かれたその世界の美しさは。

 

あとがきで川上弘美氏が絶賛するように、とにかくその文章の瑞々しさ、美しさが素晴らしいのです。それは文体という意味でもですし、そこに書かれている出来事の表現という意味でも。

 

開始五行目でこういう文章があります。上記の小箱の表現です。

「ふたをするとき ぱん とふっくらした音のすることなどのために今でもお気にいりのもののひとつ」

 

全編こうした平仮名の多い文章ですが、この文章を美しい、あるいは豊かだと感じる方は、是非本書を手にとってみていただきたいです。この「ぱん」の前後の空きに、なんともいえない味がありますね。

 

著者は漱石門下で、これが初の作品だそうですが、しかし漱石はその類まれなる才能に気づき、すぐ東京朝日新聞に連載させたとか。そしてその比類なさが、和辻哲郎など当時の一流どころを驚かせたといいます。

 

その比類なさというのは、「子供の世界」を大人の眼から見て書いたものではない、ということでしょう。読了後色んな書評を見ましたが、松岡正剛の書評の中に上手い表現を見つけたので、少し引用します。

 

「たとえば和辻は、この作品にどんな先人の影響も見られないことに大いに驚き、それが大人が見た子供の世界でも、大人によって回想された子供の世界でもないことに驚いた。まるで子供が大人の言葉の最も子供的な部分をつかって描写した織物のようなのである。」

 

そう、さきほどの「ぱん」の表現もそうですが、大人の文章であるのに、子どものままの感性の瑞々しさというか、そういう清冽なものが散りばめられている感じがする。どこか可愛らしく、そして純である。

 

別の書評に、こういうことが書いてありました。ドラマティックなストーリー展開を求める「大人の世界の価値観」で本作を読むと、その延々と続く日常体験の話に飽きてしまって読めない、と。

 

私も最初、よくわからずに読み始めてそういう印象をもったので、これもよくわかります。でも、目に見えてよく分かるドラマティックではない、しかし子供の世界の中での劇的な出来事も、たくさん出てきます。

 

読み終えてみて、この一冊を3年かけて読むという橋本先生の授業がどういうものだったのか、なおさら知りたくなりました。思春期の子どもたちに、本書を通じて何を伝えようとされたのか。

 

私にとって本書は、「なくしてしまったものの物語」でした。それも二重の意味で。ひとつはここに描かれた美しい明治の日本、そしてもうひとつはそんな子どもたちの感性の瑞々しさ。

 

それらを余すところなく描き、淡々と、しかし美しく綴られる文章は、平成の世になっても全く色褪せません。日本語の好きな方には、特にお薦めしたい一冊です。


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