たましい込めて

2016-10-28

『おれは清麿』   山本兼一 著   祥伝社文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

前回に引き続き「ものづくり」の本ですが、今日は時代小説です。しかもその題材は、私が今まで足を踏み入れたことのない領域、刀剣の世界。これは、幕末期の名人と言われる刀工、源清麿の一代記なんです。

 

山本兼一の作で私が読んだのは、『火天の城』と『利休にたずねよ』。どちらも映画化されたので皆さんもご存知かと思います。前者の主人公は宮大工・岡部又右衛門でした。そして後者は当然、千利休ですね。

 

そして刀の名匠をあつかった本作。ここに描かれた清麿は、人生の全てを刀鍛冶として生きた人物です。とにかく「よい刀を打つ」ということのみで自分の人生を進み、波乱に揉まれ、そして切り拓いた男です。

 

裏表紙にも抜書きされたこの一文が、この男の全てを物語りますね。「この刀はおれです。おれのこころです。折れず、撓まず、どこまでも斬れる。そうありたいと願って鍛えたんだ」。

 

私は刀剣には詳しくありませんが、古美術の中でもまた独特の世界のようで、その鑑賞法も色んな古来のやり方があるようです。そういえば、偉大な芸術家、本阿弥光悦の本職は刀の鑑定家なのだそうですね。

 

そして刀剣の道のファンに言わせると、清麿の刀の魅力はまずその澄んだ地鉄(じがね)の柔らかさ、だそうです。本書にも、とにかく刀として鍛える元の鉄を異常なまでに吟味し選びぬく姿が描かれていました。

 

また、本書に何回か出て来る言葉に「破邪顕正(はじゃけんしょう)」というのがあります。意味を調べてみると、誤った考えを打破し、正しい考えを示し守ること。 不正を破って正義を明らかにすること、だと。

 

素晴らしいつくりの刀には、破邪顕正の気が満ちている。侍たちは己の命を預ける刀に、そうした気を感じ取っていたのでしょう。そんな一振りを鍛え上げることに己の全てを注ぎ込んだ清麿の姿には、鬼気迫るものすら感じられました。

 

そして、私は著者の作を3つしか知りませんが、どの主人公にも共通するのは「ものづくりを通じた自己表現」ということだと感じました。そうした人物を小説として描くことに歓びをもっていたのでは、とも。

 

魂を込めた制作に生きた人生は、やはりものづくりを生業とする私にはぐぐっと強く響いてきました。そしてそんな余韻をもっての読了後、最後に解説へたどり着いた私を、ちょっとした驚きが待っていたんです。

 

ひとつは著者・山本兼一が2014年に亡くなっていたこと。残念です。そしてひとつは、同じく時代小説家・葉室麟によるその解題です。タイトルは「清麿は山本さん自身であり、鍛刀は人生そのもの」。

 

それによると、「おれは清麿」というタイトルは小説連載時のタイトル「破邪の剣」からの改題であり、それは清麿による叫びであるとともに、著者自身を主人公に重ね合わせたという声だ、というのです。

 

なるほど、なぜ「自己表現としてのものづくり」を描くのか。それは物語を綴るというものづくりに魂を込める、己の姿を投影した主人公だから、ということなのかもしれませんね。

 

そういう感覚が伝わってくると、さらに他の作品が読みたくなります。全身全霊で何かに打ち込むということの凄さ、それを改めて身に染みて感じさせた、そんな一冊でした。


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