蔵書という鏡

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〈久しぶりに目に触れた画集たちに、志事の手が止まる日でした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日はお昼ごろに自宅関係の用事があったので、特にお客さまもないし、家でのんびり図面描きの志事をしておりました。そうしたら、奥さんが部屋の模様替えをするというので、ちょっと家具の移動の手伝いを。

 

リビングの隅っこにある扉付きの収納家具を1階の寝間に移すとのこと。じゃあ中身を出し、家具を運んで、また戻そう、そう話して扉を開けてみた時、私は思わず「あっ」と声を出してしまったのでした。

 

思えばこの家具の扉をもう長いこと開けていませんでした。そこには私の蔵書、中でも大型本の画集などが入っていたんです。メインの本棚とは違う場所なので、すっかり忘れてしまっていました、その存在すら。

 

とりあえず家具を移し、それから冒頭の写真の画集たちと久しぶりの対面です。ここに写っているので半分くらい。いやあ、どれも懐かしいなあ、なんて。己の蔵書を忘れてしまってはいけませんね(笑)。

 

クリムト、マグリット、エッシャー、そして北斎。建築からはカルロ・スカルパ。一番下で見えないのは永井一正のグラフィック集です。これ以外に日本画の速水御舟、奥村土牛、平山郁夫、千住博、などなど。

 

そう言えば、家でゆっくりと画集を眺めるなんて、本当に長いことしていません。そう思って、しばし図面は中断し、絵画と戯れる時間に変更。それぞれの画集に見入っていたのでした。

 

もちろん蔵書ですから、今まで何度も眺めたし読み込んだ中身です。でも今回は少なくとも5年以上見ていないはずで、その時間を経て久しぶりに見ると、どれも初見のように新鮮な気持ちで愉しめますね。

 

中でも、クリムトの寓意画には改めて衝撃を受けました。『生命の樹』、『希望』、『人生の三段階』、消失してしまった『哲学』・『医学』・『法学』、そして大作『ベートーヴェン・フリーズ』。その表現、その深み。

 

どれも、前に見た時以上に私に響いてくる気がします。やはり絵画とは、特にこうした寓意画とは、鑑賞する自分自身の変化によって、見えてくるもの、感じられるものが流々変化していくものなのでしょうね。

 

他の画集もひととおり目を通して同様の感覚を得、そして改めて思いました。これらはほとんど30代に買い集めたものたちですが、こういう自分の好きなジャンルのモノに投資を惜しんではならない、と。

 

なぜなら、それは自分を映す鏡だからです。かつての自分と、今の自分、その嗜好の変化もよくわかるし、感じ取れるものの変化を知ることは即ち、己の感覚の鋭さ、鈍さの移り変わりを知ることでもあるから。

 

人間の好みというのは、何か人生に劇的な変化がなければ、そうそういっぺんに激変するものではないと思います。でも、やはり齢を重ね、経験を積んでいく内に、同じ好みの中の「奥行き」が変化していく。

 

そして自分の好きなものを手にし、それを永くもっていることは、その自分の奥行きの変化をしる指標となり得る。まさに、自分を映す鏡になる。画集を眺めて、そんなことを強く感じた次第です。

 

私の本好きも変わらず、そしてアート好きもまた変わりません。でも若い頃に比べて今はそこに「うつわ好き」が加わっています。それがまた自分を映す鏡として機能するのは、たぶん老後の楽しみですね。


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