描かれた時間

2016-11-17

『汐のなごり』   北重人 著   徳間文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

少しずつ、違う小説家の作品を試してみて楽しんでいる時代小説。またも素晴らしい作品に出会いました。直木賞の候補にもなった本作、北重人という作家もはじめてですが、2009年に急逝された方だそうです。

 

その名を知ったのは、これまた時代小説の名手・葉室麟が山本兼一、そして北重人の死を惜しむ文章を書いていたから。葉室麟が激賞したその作風を読んでみたくなったというわけです。

 

読む前に作家のことを調べてみて、ちょっと驚きました。私と同じ一級建築士で、なおかつ本業は都市計画コンサルタント。株式会社LAU都市施設研究所(現:LAU公共施設研究所)という、私もよく聞いた名の事務所の創設メンバーの一人だったんです。

 

これはかなり理系の人物だな。もしかしたらちょっとお硬い感じの小説なのかもしれないな。そんなことを思いながら本作を読んでみて、今度は大いに驚いたんです。その事前予想が鮮やかに覆されたことに。

 

本書は、北前船が訪れる日本海側の町を舞台にした、短編小説集です。出羽国(でわのくに)の架空の町「水潟」のモデルは、作者の故郷である山形県酒田市。地形や風習なども、酒田のものだそうです。

 

全6話はどれもこの湊町で起こる、それぞれ全く独立した物語です。遊女の恋の話、商人と兄弟の再会の話、商家の女将と孫の話、奉行と絵師の話、道祖神の祭りの話、庄内の米相場の話。

 

しかし、6編を読み終えると、舞台となる土地以外にもそこに共通点があることに気づきます。それは、ひとつには中高年の人物が主人公だということ。だいたい40代後半から60代くらいの感じでしょうか。

 

そしてもうひとつは、主人公が心の内にずっと抱え込んでいたものが少しずつ明らかになってくる、そんな物語であるということ。湊町で生きてきたその人のこれまでの人生が、それとともに視えてくるような。

 

どの物語にもそうしたミステリアスな要素をもたせつつ作者が描くのは、秘めていた記憶と再び対峙する主人公の姿。その末路のあり方は、時に哀しく、時に微笑ましく、どれも強く胸に響いてくるのです。

 

短めのセンテンスでテンポよく進みながら、文章は常に静謐で、激しい描写はありません。しかしそこに気品と、そして色気がある。艶っぽいと言ってもいい。いわゆる理系のイメージとはずいぶん違いました。

 

時代は江戸ですが、あまりはっきりしません。ほとんど年号が出てこないんですね。これもまた意外でした、理系的ではない感じで。ともかくそうした説明的なものをもたず、派手でもない、しかしゆっくりと染みてくるような文体です。

 

著者は本作についてこう語っています。「登場人物とともに、その生きてきた時間を描きたいと思った」と。まさにその描かれた時間が、人生が、同じ人として生きる読者の心を打つ。

 

私と同年代かもう少し先輩の方々には、特に感情移入できるお話ばかり。私も何度も泣かされました。その物語と、物語を表す文章の美しさ、その両方に感動できる一冊だと思います。


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