暮らしの鋳型

〈会社の忘年会旅行、雨の中の寄り道にも風情を楽しめました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日と明日、KJWORKSは忘年会旅行で、スタッフや職人さん方と一緒に、香住に来ております。といっても、大阪から香住へ直行では面白くないので、最近は往路の途中にどこか寄り道をしています。

 

今年は、篠山城跡を中心とした城下町の散策と、そこでお昼ご飯も、となりました。私もここに来るのは初めて。生憎の雨でしたが、なかなか楽しい時間でしたよ。

 

お城はもう建っていませんが、その城跡とお掘が遺り、その周囲の江戸の街並みがある程度保存されています。私もやはり商売柄、家並みの方に興味がいってしまいますね。

 

冒頭の写真は、城の西側にある「御徒士町(おかちまち)」というエリアの「武家屋敷 安間家資料館」です。徒士(かち)と呼ばれる城の警護役の武士達が住んだ住宅街、その一軒が保存されていました。

 

このように、懐かしい茅葺きの屋根。内部も非常に簡素で、しかし表と裏の庭と繋がった、開放的な日本の家屋でした。いくつか写真を挙げてみましょう。

 

 

しばし室内に座って、雨がそぼ降るお庭を眺めていました。家のもつ開放感と、家が景色を切り取る方法、その寸法関係を考えながら。こうして雨の庭を見ている時間も、私はとても好きです。

 

そして武家屋敷街の後、今度は商家街も探索してきました。こちらは少し離れた場所にあって、街区が「重要伝統的建造物群保存地区」、いわゆる重伝建に指定されている地区です。

 

このように全ての家が瓦屋根、壁は漆喰塗りで、卯建の上がっている家も多い。先ほど見た武家屋敷街の茅葺屋根とは、随分雰囲気が違います。おそらくこれは、各々の建物の密集度具合と関係しているのでしょう。

 

こうして、少し歩いただけでも、江戸時代の武家、そして商人達がお城を中心にしてどう住まい、どう暮らしていたのかが、何やら伝わって来る気がします。住宅建築というものがあるだけで、当時の人々がイメージしやすくなる。

 

住まいという建築には、そうした「暮らしの鋳型」とも言えるような埋め込まれた情報がある。そうしたものを感じながら、では翻って現代の住宅は、未来に向けてそうした鋳型としてのあり方を残せるだろうか?

 

それよりもまず、建物そのものが遺構として保存の対象になり得るか。こうした先人の建築文化を目の当たりにした時、私が否応なく頭に思い浮かべるのはそのことです。

 

こう言ってしまうと身も蓋もないかもしれませんが、正直言ってかなり心許ない。皆さんはどう思われますか?遺ることが良いこととは限りませんが、でも今の私たちがこうした遺構を大切にするなら、未来人がそうであってもおかしくないですよね。

 

江戸の頃まで、身分と暮らしと建築には「類型」がありました。だからそこそ、暮らしの鋳型であり得た。それが壊れてしまっている今、住まいという建築は、未来に遺す価値をもつのだろうか?

 

でも、少なくとも「永く住んでいただける家」をつくることで、何か未来につないでいける力を建築に宿していけるのではないか。雨に濡れる庭を眺めながら、今日はそんなことを考えた私でした。


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