差異の三重奏

『嵯峨野明月記』   辻邦生 著   中公文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

この年末年始は家に独りでいたので、読書三昧。それも、普段の通勤電車では読みにくい類の本、すなわちちょっと取っ付きにくい感じの本をまとめてじっくりと読破していました。本書もそのひとつです。

 

みなさんは「嵯峨本(さがぼん)」というものをご存知でしょうか。別名を「光悦本(こうえつぼん)」とか、「角倉本(すみのくらぼん)」とも呼ばれる、近世につくられた「古活字本(こかつじぼん)」です。

 

ウィキペディアで「古活字本」を見ると、こうあります。「古活字本または古活字版(―はん)とは、文禄より慶安ごろ(16世紀末から17世紀初め)までの間に日本で刊行された活字印刷本の総称である」と。

 

ここで、冒頭の写真。書籍中央の水色、これが嵯峨本のひとつ『四季草花下絵和歌巻』です。優美な絵の上に、筆文字が書かれていますね。この墨跡が実は活字。筆による文字を木に彫ったものなんです。

 

そして嵯峨本とは、この元の字を本阿弥光悦が書き、絵を俵屋宗達が描いたもの。まさに当時一流のクリエイターによる、超豪華本というわけですね。そしてそれを出版した人が、角倉了以の息子、角倉素庵。

 

本書はその三人が「嵯峨本」という美の結晶に至るまでを描いた歴史小説です。それもただの小説ではありません。私が「取っ付きにくい」と書いたわけは、その小説の描かれ方、形式にありました。

 

物語は全て、三人各々の回想を独白のみで描いていくのですが、そこにナレーションがない。そしてさらに、改行がないんです。独り語りが始まると終わるまで、延々と文字ばかりが10頁、15頁と続いていく。

 

この調子で430頁ですから、すごい情報量。そして、慣れるまではとても読みにくい。なので私も、電車の中では無理だと諦めたんですね。正月に腰を据えてじっくり読み始め、物語に惹き込まれたらもう大丈夫。

 

絵師・俵屋宗達には謎が多く、その生年すらもはっきりしないそうです。本書では少しワイルドな人物として描かれていました。ただ、本阿弥光悦も角倉素庵も、史実から読み取れる人物像は、曖昧なはず。

 

ですから本書は、著者による史実に基づいたフィクションである。それはわかっているのですが、読めば読むほど三人三様の生き様、そして心の動きが、時代と絡めて密度濃く描かれ、こちらを圧倒します。

 

織田、豊臣、徳川と移り変わる中で京の都は何度も焼かれ、戦に巻き込まれる。そんな中で光悦が至った諦観とも達観ともとれる境地。宗達がのめり込んだ画境。そして素庵の、実務と学問の間で揺れ動く心。

 

本書にはそうした三人それぞれの内面の旅が粛々と描かれます。そして物語の終盤、その三つのベクトルが交わる点として、この嵯峨本が世に現れる。まるで三重奏の調べのように。

 

しかし、著者は三重奏を描くのが目的ではなく、それを生んだ芸術家たちの「差異」をこそ描きたかったのだと感じました。同じ「美」に携わった者たちが世界と取り結んだ関係性の違いを。であればこそなおさら、その三重奏には大きな意味がある、ということを。

 

いや、じっくり読んでもやはり容易には掴みきれない、そんな大作でした。近世の芸術にご興味おありの方には大いにお薦めですが、軽く読み進むことは困難な本であること、申し添えておく次第です。


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