命の密度と長さ

〈いつもの風景が違って見えたのは、あの建築が延命工事をしていたからでした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

6日間も宮崎に居て、今日は久しぶりに芦屋の事務所「木の空間」へと出社。いつもと同じようにJR芦屋駅から歩いて芦屋川へ差し掛かった時、あれ?いつもと風景がちょっと違う、と感じました。

 

その理由に気づいて、少し近くに寄って撮ったのが今日の冒頭の写真です。中央より少し右上、芦屋川を見下ろす「旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)」が、いつの間にか足場にすっぽりと覆われていたんです。

 

この建物は、建築好きには非常に有名。近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトによる設計で、国の重要文化財指定を受けています。1924年の竣工で、築93年を迎える建築です。

 

そしてこの山邑邸、昨年の11月から保存修理工事が始まり、残念ながら2年間の閉館期間となっているんです。今回は防水のやり替えと各種設備の充実が図られている、と同施設のHPで読みました。

 

だからでしょうか、足場は壁から屋根まで全体を覆っていて、工事の難しさを物語るようです。そしてこの様子を見て私は思いました。こうして維持管理措置を確実に施してもらえる建築は幸せだなあ、と。

 

ここ数日間の宮崎での経験は、どうしても私に「命の長さ」ということを考えさせました。それぞれの人に与えられた時間の多寡は、何によって決まるのだろうか、と。

 

そしてまた「命の密度」についても考えました。与えられた時間をどのような濃密さ、あるいは希薄さで生きるのか、ということです。「生き急ぐ」という言葉があるように、太く短く濃厚に生きている人もいる。

 

そんな思考の時間を過ごした後にこの山邑邸の姿を見た今日の朝、建築の場合はその生きてきた命の密度が高いほど、命の長さが延びるのかもしれない、そんなことを感じたんです。

 

山邑家が巨匠に依頼したこの建物は、そうあるべくして非常に密度の高い「住まわれ方」をしていたに違いありません。建築としての使命をもち、その力で人々に何かを示すかのような。

 

そして、その本来の時間を終えたあとも、空間に宿ったその密度が価値となって、この建物を後世に遺すことになった。そんな気がします。それが建築の命の密度と長さの関係なのではないか、と。

 

例えば、何も考えずにつくられた建売住宅には、住む人の想いも宿ることなく、ただ何となく、あるいは文句を言われながら住まわれる。そんな希薄な時間を過ごした建築が、後世に遺ろうはずがありません。

 

やはり建築とは、心地よく使われ、愛着をもって暮らしが営まれることで、その命の密度を高めていくのだと思います。そしてそういう建物を、人は次世代に遺そうとするのではないでしょうか。

 

世代を経て住まわれ使われて、そして人に惜しまれながらその命を全うして終える建築。そういうものを私はつくりたいですし、そういう建物が多く存在することが、まさに「建築文化」なのだと思うものです。

 

さて、工事を経てさらにその命を永らえることになる山邑邸。今回の工事期間中にも、その様子が見られる見学会が予定されているそうです。建築屋として、その命の長さの秘密を垣間見るべく、是非参加したいものだと思っている私です。


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