浮世絵の奥に

『江戸切絵図貼交屏風(えどきりえずはりまぜびょうぶ)』   辻邦生 著   文春文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

年明け最初のこの書評ブログで採り上げた『嵯峨野明月記』、その著者による作品の2つめは、江戸が舞台の時代小説です。架空の浮世絵師をその主人公とした、連作短編シリーズになっていました。

 

タイトルにある「江戸切絵図」とは、今で言う「東京区分住宅地図」という感じの絵図のようです。本書の表紙にもそれがあしらわれていますが、折りたたんで携行するハンディマップのようなモノらしい。

 

著者は大正14年の生まれで、あとがき「藍いろに暮れていゆく江戸に」には「本郷西片町に生まれ、戦前の赤坂界隈で育った」とあります。また「赤坂溜池と山王下は幼少期の私のトポグラフィックな中心」とも。

 

そして本書は、著者の想い出深い場所に江戸の頃住んでいた浮世絵師の物語。彼、歌川貞芳が、美人画の像主(ぞうしゅ:絵のモデル)となった女性がもつ数奇な運命と事件に関わってゆく様を描いています。

 

全九話、どれも「捕物帳」的というか、推理小説仕立てのような部分があり、与力による謎解きの場面などもあったりします。でも各話に共通して本書を貫くテーマは、事件そのものではなく、その奥にある。

 

それは、ひとつには「幕藩体制のきしみ」とでも言うべきものでしょう。幕府との軋轢をもった地方の藩におこる内部抗争、その犠牲となった男女の哀しい物語が、各話それぞれのシチュエーションで語られます。

 

そしてもうひとつは、そうした哀しい物語を背負った女たちの中に垣間見える「美」と、それによって開眼していく貞芳の姿。物語冒頭では美人画に悩んでいた彼が、女の中に「美」というかたちで見た、その心。

 

この連作、脇役に版元・蔦屋重三郎が登場することから、時代的には寛政の頃(1790年頃)でしょう。浮世絵の花開く時代に、あるアーティストの浮世絵の奥にある「美」を描く物語、私には実に魅力的でした。

 

嵯峨野明月記ほど読み難くはなく、端正な気品ある文章で、事件の顛末や貞芳の行動、心情が描かれています。登場人物の会話が現代文であったり、物語の終え方も独特だったりと、大いに辻邦生流を感じる次第。

 

そして、本書のタイトルが表すとおり、彼の画室がある山王下や江戸市街の叙情的な風景が頻出します。それぞれの季節を絡めたこれらの描写もとても素晴らしい。東京に住む方ならもっと心に響くでしょうね。

 

仏文学者でもある著者には、西洋舞台の作品も色々あるらしい。でも私は次も、著者による時代小説を読んでみます。信長や、西行も。「美」をその主軸に据えた辻邦生の世界に、もう少し浸ってみるつもりです。


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