ポータブルの瀬戸際

〈スマホの会社がどこかよりも実はもっと怖い、スマホのサイズの話です。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。連日、木の家のことでない投稿にて失礼いたします。

 

昨日のブログ、ちょっと皆さんのご参考になればと書いたのですが、思わぬ大きな反響でびっくりしております。そこで気を良くして、というかこれも言っておきたくなって、今日はもうひとつの私の苦言です。

 

今日の写真、iPhoneが2つ並んでいますね。右が昨日まで2年と少し使っていたiPhone6、左はその前に使っていたiPhone5Sです。5Sの表面はガラスが割れて酷い有様ですので、裏面にてご勘弁を。

 

そしてこの一枚を撮ったのが、今日アップル心斎橋で入手したiPhoneSEです。残念ながら6の下取りはガラス破損のため叶わず、事務所に3つも並ぶことに。これもSIMフリー版でないことの弊害とも言えますね。

 

今日ちと苦言を呈したいのは、こうした機器の「サイズ」のことなんです。iPhoneSEは5Sと同じ大きさで、6と比べるとだいぶ小さい。逆に2年前ガラス破損で仕方なく6に変えた時、異様に大きく感じましたね。

 

また使い勝手も悪く、正直好きになれずじまい。その後SEという機種を得て、やっと大きさもデザインも一番好きだった5Sの頃に戻れたのですが、このSEなる先祖返りも、多数の同意見を汲んだものと推察します。

 

いや、焦らすようで申し訳ありません。私の想いとは「大き過ぎるスマートフォンは危ない」ということ。また、ポータブル機器たるスマホとは本来「片手で操作できる」大きさであるべきでは、ということ。

 

車を運転していてスマホを使うなどは論外ですが、電車通勤していてよく思うのは、皆さん驚くほど大きなスマホを使っておられるということです。当然、両手を使って操作しておられる。立っている人も、です。

 

揺れる移動空間の中で、両手はスマホを操作、眼もその大きな画面に釘付けで周囲も見えていない。列車が揺れるたびにフラフラして周りの人にぶつかっている人を何度も見たし、私にもぶつかられた経験あり。

 

大画面タブレットは、座って身体を安定させて使うものでしょう。対して「電話」でも「カメラ」でもあるスマホは、立ったり動いたりしつつ安全に使える前提で、「片手仕様」で設計されるべきではないのか。

 

「歩きスマホはやめよう」なんて当然のことを謳う前に、両手の自由を奪い、五感の集中力を奪う、テレビのように大きな画面のポータブル機器なんぞつくるな!私はそう声を大にして言いたい気持ちです。

 

大きな見やすい画面など不要、動きながらそんな画面ばかりを見ているほうが危ない。ポータブル機器なのに、人をじっと動かなくさせる方向へその設計思想がズレていっていることを、大いに憂うのです。

 

しかし残念ながら、世の大きな流れはその方向のようです。スマホとタブレットのサイズ的境界がなくなりつつある現状は、もう「瀬戸際」を超えて、危険水域に入っている。そう思えてなりません。

 

私自身も、SEにサイズを戻してみて、正直「小さい!」と思いました。知らず機器の方に自分が慣らされていることの怖さを感じました。今日からまた見にくい画面ですが、これでいい、と思うんですね。

 

昨日の投稿よりも、今日のはだいぶ深刻でしょう。事故につながる危険性を大いにもっているのに、でも「売らんかな」の商魂の元にイメージ操作がおこなわれ、皆がそこに目を向けないようにしている。

 

そういう極端なことすら感じてしまうほどに、スマホ業界の「ものづくり」はつくり手の思想に何か欠如がある。あくまでこれは私の意見ですが、皆さんのご参考になれば幸いです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です