季節の言葉

〈春の訪れを感じるこのころ、日本人の季節感というものを特に想うのです。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日はとても暖かい日でしたね。芦屋の事務所「木の空間」がある建物の前にある大きな寒緋桜(かんひざくら)の樹には、だんだんと真紅の蕾がふくらんできていますよ。

 

日中とても過ごしやすくて、もう本当に春だなあと思っていたのですが、でもまた明後日くらいから寒い日に戻ってしまうようです。こういう予報を見ると「三寒四温」の意味がよくわかる気がしますね。

 

また、今日は二十四節気のうち「啓蟄(けいちつ)」です。啓は「ひらく」、蟄は「かくれる」の意で、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫穴ひらき出ればなり」と言うように、虫が地上に這い出す気候の意味。

 

こうした暦の言葉はたいてい中国から伝わっています。しかし「三寒四温」は中国では真冬の言葉だそうですね。シベリア高気圧がヒマラヤ山脈にあたり、冷たい空気と暖かい空気が交互にやってくる様子だとか。

 

しかし、日本では真冬にはそういう気候がなく、春先に今のような寒暖が交互にやってくる気候がある。なので「三寒四温」が使われる時期が日本と中国とでは違っているのだ、と聞いたことがあります。

 

対して「啓蟄」を含む二十四節気には彼我の差はありません。ほぼ同じ日程で推移していますが、こちらの方は字が違う。二十四個ある名前のうち「啓蟄」だけに違いがあり、中国では「驚蟄」と書くそうな。

 

こういう「季節の特徴をあらわす言葉」というのも、やはり国によって違いが出てくるものなんですね。漢字文化圏のご本家と言うべき中国と、日本。その気候風土の違いや、経てきた歴史の違いによって。

 

そして21世紀の現在、その一番の違いは何か、ご存知ですか?それは、中国は今でも旧暦(太陰太陽暦)であるということです。対して日本は明治の頃から、西洋式の太陽暦(グレゴリオ暦)を採用しています。

 

と言っても日本の場合、永く使っていた旧暦と新暦との間での齟齬というか矛盾というか、そういう問題を多々抱えているというのが現状でしょう。そもそも二十四節気というものは旧暦に連動したものですから。

 

今で言う2月初頭に「立春」があり、一年の始まりであるそれを「新春」と呼ぶ。冬の寒さが最も厳しいころでありながら、その中にほんの少し垣間見える「春の兆し」を敏感に捕らえる眼が、そこにはあります。

 

中国から渡来した「季節の言葉」は、四季の移り変わりを細かく肌で感じとることに長けた日本人に受け入れられ、時に「三寒四温」のように微調整を加えながら、暮らしの用語として定着してきたのでしょう。

 

私は毎年、立春、雨水、啓蟄と移り変わるこの時期、最もそのことを思うのです。蝋梅が咲き、梅が咲き、そして桜へと、ほんの小さな兆しだった「春」が少しずつ大きくなって、人々のまわりを満たしていく。

 

今日はちょっと結論がない感じですが、三寒四温にせよ、啓蟄にせよ、あるいは「一雨ごとに暖かくなる」といった言い回しにせよ、そうした季節の気候を上手に言い当てた言葉には何物にも代え難い価値がある。

 

そういう想いもこの時期もっとも強くなりますし、こうしてブログや投稿に書いたりしてそうした言葉を皆で使い合うことで、少しはそれをこの国に馴染ませた先人たちに顔向けできるのでは、と思う次第です。

 

最後に今日の冒頭の写真は、私がとても好きな一枚。窓の外の緑に室内から季節を感じ取る、そうした人の喜びというものが、とても素直に写し出されているようではありませんか。この気分もまた、春ですね。


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