いのちの気配

〈法要で宮崎へ。散歩で海を訪れ、生きることに思いを馳せる時間です。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は早朝に大阪を発ち、先月他界した義父の四十九日で、家族とまた宮崎に来ております。大阪、東京、福井から親族が集い、お寺さんでの法要を無事におさめることが出来ました。

 

夕方から時間が空いたので、いつものように一人ゆっくりと散歩を。奥さんの実家から私が歩く先は、近くの一ツ葉神社からビーチを巡るコース。正月には初日の出を見に行くルートでもあります。

 

先月にお別れして、もう四十九日。時の経つのは早いですね。義父の冥福を祈りつつ、今日はふと、一ツ葉ビーチの突堤から見える海の眺めに浸りたい気持ちになったのでした。

 

以前も投稿したことがありますが、冒頭がその景色です。大阪でも芦屋でもこうは見ることが出来ない、雄大な太平洋。ここでしばらく、何ものにも追われずに過ごす時間は、とても贅沢ですね。

 

でも、神話の里といわれる宮崎にいるからでしょうか。ここで太平洋を眺めていると大抵、日々のことよりもっと根源的なこと、例えば生命や輪廻、そういうことを頭に浮かべている気がします。

 

今日、海が見たくなったのも、そういう気分になったからかもしれませんね。法要の場に身を置いていると、やはり人の命やその連鎖、というようなことの思考がどうしても生じてきますから。

 

といって、何か一所懸命に考えて結論を出す、というような話ではありません。海という生命の源、その果てしない眺めに誘われるように、なんとなくぼんやりと想いを馳せている、そんな感じ。

 

思うに、ここ宮崎にはその温暖な気候もあるし、「国産みの伝説」が生きる地域ということもあるのか、私にとっては関西よりもずっと濃厚に、生命力というか、生命の気配が伝わってくる気がします。

 

それは雄大な海の景色からも感じますし、例えば次のような場面からも。今日すでに水の入った田んぼは、もうすぐ田植えですね。宮崎では二期作、二毛作が普通で米も2回採れ、自然の生命力が強い感じ。

 

そうした中で今日、ぼんやりと人の命について考えていると、もっと大きな生命力の枠組み、大自然という輪廻の世界の中での生命というものへと、その小さな思考がだんだんと溶けていくような気がしました。

 

ちょっと結論がなくて申し訳ありませんが、自然の中の一部として生き、そして死ぬということ、それがしやすい場所なのかもしれない、そう宮崎でいま考えています。


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