手紙に描かれた男

『安土往還記』   辻邦生 著   新潮文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

『嵯峨野明月記』から始まった辻邦生行脚、三冊目はぐっと遡って、氏の初期の傑作とされる本書を手に取りました。発表は1968年、私とほぼ同い年の物語。そして扱われている人物は、織田信長です。

 

といっても、信長一代記というような単純な代物ではありません。冒頭の文章を書き写してみましょう。

「私が以下に訳を試みるのは、南仏ロデス市の著名な蔵書家C・ルジエース氏の書庫で発見された古写本の最後に、別紙で裏打されて綴じこまれている、発信者自筆と思われるかなり長文の書簡断片である。原文はイタリア語であるが、私はC・ルジエース氏の仏文の試訳に基づいて日本訳を行なった。」

 

これ、信長とどういう関係が?という感じですね。本書は、ある人物の手紙を訳したもの、という体裁を取っているんです。その手紙の文面に、「尾張の大殿(シニョーレ)」こと織田信長が描かれています。

 

そしてこの手紙を書いたのは、キリシタン宣教師を日本に送り届ける役目を担った、あるイタリア人船乗り。冒頭でこの「訳者」は、宣教師による当時の日本の記述とは違う「視野と気分」があると述べている。

 

何だかややこしいですが、もちろん「手紙」と「訳者」までを含めた全体が、辻邦生によって紡がれた物語世界なんです。織田信長という人物を描くにあたって、著者が組み立てた虚構の構造だと言えるでしょう。

 

織田信長という武将が、比叡山や石山寺を焼き、仏教というものに強い敵愾心を抱いていたらしい、ということは、なんとなく私たちも知っていますね。あるいはルイス・フロイスなどの宣教師を庇護したことも。

 

また、信長というとその残忍な所業がクローズアップされることも多い。謀反を起こした武将は一族郎党全て惨殺とか、上記の仏教本山を焼き尽くす、といった「人でなし」的な部分がよく俎上に上がります。

 

本書には、それらが一体なぜなのかが一外国人の目線から描かれていて、そしてそのことがメインテーマでもあります。ネタバレはいけませんが、それは一言でいうと「事を成す」ということだと感じました。

 

その視点に立ってみると、信長という孤高の人のやったことに一貫性が現れる。そうした視点を当時リアルタイムでもつことが出来たのはこの手紙を書いた人物だけではなかったか、というのが著者の主張かと。

 

内容は読んでいただくしかありませんが、私は内容はもちろん、著者によるその「主張を最も効果的に魅せるための物語の構造・様式」の素晴らしさに感動したのでした。それを構築し得る、大いなる想像力に。

 

昨今は「本能寺の変」にも色んな新しい説が登場したりして、織田信長と周辺の武将たちについての記述もまた書き換わったりしているようです。史実とは常にそういう宿命のものなのかもしれませんね。

 

しかし、辻邦生が描いた信長は、この物語構造を得たことで、まさに不変のものとして結晶化している。読了後、私にはそう強く感じられたことでした。


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