似かよう薫り

『江戸の味を食べたくなって』   池波正太郎 著   新潮文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

池波正太郎の第二弾、今回手に取ったのは「食」に関するエッセイ集です。浅草生まれの江戸っ子の著者が、このタイトルでいったい何を書いているのか、いやが上にも気になろうというものでしょう。

 

内容は大きく三部。ひとつめが「味の歳時記」で、十二の月それぞれの旬の味、そして著者が好きな食べ方やその食材にまつわる想い出などを綴っていく、という趣向。でも最初の一文に意表を突かれました。

「フランスの田舎へ行くと、少年少女たちが朝から晩まで一所懸命にはたらいてい、(後略)」

 

この「何々してい、」という言い回しは池波正太郎独特のものですね。「何々しており、」「何々していて、」というのと同じ表現。私は氏の著作のまだ二冊目ですが、この言い回しは非常に多いですね。

 

そして、冒頭からフランスの話。時代小説作家のエッセイ集というので予想していたのとずいぶん違う。「江戸の味を食べたくなって」じゃないの?と思いましたが、最後まで読んで、よく理解できました。

 

著者・池波正太郎は、大いなるフランス通なのですね。しかしその前に、大いなる映画マニアである、ということが先に来るんです。フランス映画をずっと観続ける中で彼の国を学んだ、ということのようでした。

 

1980年代に初めて渡仏するまで40年来の鑑賞歴をもつフランス映画通で、初訪問の際もパリなどの地形や街並みも頭に入っていたとか。他に娯楽の少ない時代に、人が映画から吸収するものの密度は凄いですね。

 

第二部は「江戸の味、東京の粋」と銘打たれた対談集で、山口瞳との対談の中でも、映画に浸った日々のことが語られていました。ご贔屓の料理人二人との対談からは、著者の思う「粋」が伝わってきます。

 

そして第三部は「パリで見つけた江戸の味」。巻頭にフランスが登場したことにも驚きましたが、ここでもう一度びっくり。池波正太郎はフランスにおいて、色んな意味で「江戸の薫り」を見出している。

 

この「薫り」を氏は人の暮らしぶりからも、街の雰囲気からも感じている様子。冒頭の一節の続きには、ごく身近なところでつくられる食材たちのことが描かれ、失われた「昔の味」への郷愁が滲むのでした。

 

フランスの田舎に残る自然な食生活に、あるいはパリの街なかの古びた居酒屋の佇まいやそこに集う人々に、著者は江戸の頃、あるいは著者が幼少期を過ごした戦前の頃との共通点を感じ取っているようです。

 

国の違いを超えて、そうした「薫り」や「佇まい」に共通点を感じとる、というのは素晴らしいことですね。その偏見のない真っ直ぐな視線に、私は何だか感動してしまったのでした。

 

そして第三部の大半を占めるのは、著者がフランスで大のお気に入りとなった居酒屋にまつわる話や、それを題材にした小説などです。まるで浅草や深川をイメージさせると著者の言う、頑固親父が妻と営む店。

 

メニューは、ワインとチーズとパンのみ。でもそれがとびきり美味しい。クラシックな雰囲気とそこに人が集い、時を過ごすその様子、そこから立ちのぼるかのようなある芳しい「薫り」。

 

ちなみにその居酒屋は「古き佳きフランス」という意味の名前だそうです。日本からはほぼ消え去ってしまったその薫りを、著者の想い出から、そしてフランスでの体験から共に味わえる、そんな一冊でした。


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