清しい函

〈タイトルの読みは「すがしいはこ」。ある既知のモノの新しい活用法を知った時間でした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

一昨日のことになりますが、「class泉陽」と自称している3人の集まりが久しぶりにあったんです。後のお二人はJqualiaの松下さんと10netの宇野さん、同じく暮らしに関わる志事を営む、同じ高校出身の3人です。

 

今回は集まる場所が肥後橋ということで、宇野さんが代表をされているテンネットさんの事務所にも立ち寄ってきました。こちらもずいぶんご無沙汰で、ショールーム「room10」の雰囲気もだいぶ変わっています。

 

そこでとても興味深いお話が聞けたので、それを書こうという次第。冒頭の写真の壁に立てかけられ、かつテーブルに重ねて平置きにされているものが、今日の主役である「COUCHE(クーシュ)」です。

 

クーシュは桐で出来た重ね箱で、その名前の意味はフランス語で「層」。大切なモノたちをその中に飾るように収めることで演出できる、いわば宝物の箱。そしてそれを「層」として重ねていける仕掛け。

(写真はテンネットさんHPよりお借りしました)

 

この箱は以前から知っていて、宇野さんが製作者である若葉家具さんの工場に行くのに同行させてもらったりもしました。そのお披露目として宇野さんご自身の「好き」が設えられた重ね箱も拝見しましたね。

 

でも、今回はじめて写真のような「立てて使う」あり方の可能性を想ったんです。それは宇野さんからお聞きした、あるご婦人がこのクーシュの展示を見ておっしゃったという言葉からの、新しい印象でした。

 

その方は「これを母のお仏壇に使いたかったわあ」と言われたのだそうです。それを聞いた宇野さんは「それならお母様のお着物などを奥の面に設えたらとても素敵ですね」と返されたそう。何か、いいですね。

 

私はそのエピソードを聞いて思いました。確かに最近は「モダン仏壇」が増えてきていますが、モダンと言いながら結構コテコテなものもあるし、シンプルイズベストというならいっそここまでやる方が潔い、と。

 

そして、おそらくその方はこの「桐」という素材がもつ清々しさ、あるいは澄んだ透明感に近いような独特の持ち味を敏感に感じ取られていたのだろうとも感じます。それがもつ清浄な「和」の部分を。

 

「層」の使い方とは違いますが、この桐箱がお仏壇や神棚のような「彼岸」をフレーミングする道具になるというのはとても興味深い。人がそのフレームの中に故人を偲び、神を畏敬するという行為を呼ぶことが。

 

そういえば、クーシュに限らずテンネット商品はみな「フレーミング」の道具であるのかもしれません。フレームはその形が額縁的でない場合も含め、モノの周りにあってモノを活き活きさせる装置のようなもの。

 

そう考えてみると、いわゆるお仏壇や神棚というものも、別になくても故人や神へ手を合わせることは出来る。でもこうした装置があることで、人はその想いをより活性化させ得るのかもしれませんね。

 

その、想いを活性化するという働きを超えて、必要以上に荘厳さであったり威厳であったりということに傾いてしまったのが仏壇というモノの現状であり、モダン仏壇の流れもその本来への回帰だとも言えそう。

 

しかし、そこに本当に必要なものは無駄を削ぎ落とした最低限のシンプルな「フレーム」、そのかたちと材質の有り様にそこはかとなく表れてくる、日本人の心の部分なのではないか。そんなことを想います。

 

いずれにせよ、既知のものの新しい使い途を知ることで眼から鱗が一枚落ちますし、「形・素材・用途」の関係を見直す契機ともなる。清しい箱の新たな可能性に、気分もまた爽やかにしてもらった時間でした。


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