詩人の文体

『「忙即閑」を生きる』   大岡信 著   角川文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今月初めに他界された大岡信氏。そのニュースにふれ、その名をずっと以前から知りながら著作を読んだことがないことに改めて思い至って、早速ひとつ選んで入手しました。詩集ではなくエッセイ集です。

 

著者の手になるいわゆる「現代詩」も私は知りません。正直、詩には苦手意識があって敬遠していたんです。しかし本書を読んで大いに後悔しました。大岡信の文章をもっと早くから読むべきだった、と。

 

詩人とは、言葉というものに最も繊細な感性をもつ人種のはず。であれば詩以外の文章にも、その感性が同様に埋め込まれている。なぜそこに気付かなかったか。本書に綴られた美しい文章でそれを痛感しました。

 

どう美しいかはもう読んでいただくしかないのですが、とにかく言葉が選び抜かれていると感じました。書き出しも、字句の組合せも、言い回しも、句読点も、改行も、音読の具合も、結末の納め方に至るまで。

 

私もこの文章を含めてずっとブログを書いてきていますが、これはお手本にしたい文体ナンバーワンかも、とすら思いました。なのでなおさら、この歳で初読ということへの後悔はひとしおだったんですね。

 

各エッセイの内容は多岐に渡ります。回想録のようなもの、日本語・日本文化に言及したもの、同時代を生きる芸術家について述べたもの、などなど。エッセイということでどれも読みやすく、かつ含蓄深い。

 

著者ご本人の知識もほぼゼロでしたが、本書で三島のご出身であること、新聞記者出身でしかも英仏両語に通じて外報部にいたこと、詩作活動へのきっかけなども知り得たので、一冊目には良き選択でしたね。

 

日本語の歴史を探求し、古の詩と言える和歌、俳句の世界にも造詣ふかく、その伝統をふまえた詩の共同制作「連詩」も創始されたそうです。そうした氏の活動の一端を知ることができる本でもありました。

 

タイトルにある「忙即閑」は著者の造語で、「忙中閑あり」という言葉に疑義を呈する感じの文章がこの本の最初にあるのです。著者いわく「働いている時と憩いの時は互いに浸透し合っているように思う」と。

 

「忙」は忙殺というバタバタではなく、私なりに解釈すると、頭脳がフル回転していながら疲労もせず、落ち着いていて、かつ楽しくて仕方がない。そんな状況を「忙即閑」と表現したのかな、と感じました。

 

文中に何編か詩もありますが、本書で自分が現代詩に開眼したとは言えません。でも、詩人が紡ぐ美しい文章には目覚めました。まだ遅きに失することはなし、今後も大岡信の世界へ分け入ってみようと思います。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です