庭とふれあえば

〈庭仕事はたいへんですが、色々と感じさせてくれることを愉しむ気持ちがポイントかと思いました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

昨日は志事での外構工事のことを書きましたが、今日の写真はプライベートの外構、というか自宅の庭です。確か昨年も書いた気がしますが、毎年この頃に私を待っている作業、今年もおこないました。

 

本当はGWでやるべきそれは、庭の雑草引きです。今年はちょっと遅れましたが、先週の雨上がりの朝、夫婦で京都に行く前におこないました。引いた草をしばらく乾かし、今朝ゴミに出す時に庭の方をパチリ。

 

あらら、先週きれいに引いたはずなのに、もう次のが伸びてきています。この新緑の候には雑草たちの勢いもすごくて、あっというまに土が見えなくなる。本当に「生命の季節」という感じがしますね。

 

いつも思うことですが、雑草引きはある一面でその数多の生命を奪う行為です。しかし本来庭に植えている樹々を守り、その庭の姿を維持するためには仕方ない。正直、いつもちょっと複雑な気分でやっています。

 

自宅の小さな庭の作業なんてたかがしれていますが、本当にこれをやるべきかという気持ちはどこかにある。でも今年は、その後に瑠璃光院の素晴らしいお庭を見て、ちょっとまた違うことを感じたのでした。

 

美しく苔むした地面、草花や低木類、そして楓を中心とした高木類も、ごく自然な姿でありながら実はすごい手間暇をかけて手入れをされているはず。当日は庭師の方のお姿もちらっとお見かけしましたね。

 

その方は、たくさんある馬酔木を見て回っている様子。そのお姿が、まるで樹木と対話しているように見えたんです。ああ、この職業もまた、好きでのめり込んでやらないと出来ない志事だなあ、と思ったり。

 

きっと庭師さんは、このお庭のあり方から何かを感じ、教えてもらっているんだろうな、とも感じました。世話をする自分と、その結果かたちになっていくお庭の姿との間のやりとりから、心の糧をもらっている。

 

そこで、その朝に雑草を引いた自分を思い返すと、めったにやらないその作業を通じて、私も庭という小さな自然にふれて気づくことが色々あるんです。それは樹々からも、雑草や土、そこに居る虫たちも含めて。

 

もちろん庭師の方と比べることは到底できませんが、素人は素人なりに、庭とのふれあいからは何か得るものがある。なんというかそれは、精神のリハビリのようなものと言ってもいいかもしれませんね。

 

庭の雑草を引くのを心のどこかで面倒と思ってやるが故に、変に疑問に思ったりするのかも。少しの間志事を忘れて小さな自然に親しむ時間をとるよう仕向けてくれている。そう考えればすっと腑に落ちるようで。

 

素敵なお庭を観て歩くのも良いことですが、自分の手が届く小さな自然である庭とふれあえば、観て歩く以上のナマな感覚として楽しめることもまたある。今回は恒例行事の違う面に思い至った気がした私でした。


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