いくつものちから

『西行花伝』   辻邦生 著   新潮文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

辻邦生作品4冊目は、全774頁の大著です。事前に読んだ謳い文句はこう、「構想三十年 美に生きる乱世の人間を描き続けた辻文学の集大成 美と行動の歌人・西行の生涯を浮かび上がらせた絢爛たる歴史小説」。

 

確かにこれまで読んだ三冊にも「美に生きる日本人」という共通点がありました。ただ本書は、西行法師の生涯を描くという伝記的側面をもっているのが特徴で、私としては歴史の勉強にもなる読書でした。

 

西行は1118年に生まれ、1190年に入寂したといいますから、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての人物ですね。歌人としての名はともかく、その人間像や時代背景との関わりなどは全く知らないでいました。

 

そうしたことが全て、辻邦生の濃密な筆によって余すところなく描かれています。「院政」という帝よりも強権をもつ人がいた時代、そして徐々に公家社会から武家社会へと移行していく、大きな時代のうねりも。

 

そんな大きな転換期、「北面の武士」であった佐藤義清が出家し、華麗な宮殿生活から自然の中へ。旅を愛し、山里暮らしの孤独を愛し、そして何よりも歌を愛したその足跡と彼の心の有り様が描かれます。

 

手法としては、各章ごとに「語り手」が変わり、それぞれに西行との想い出を物語るというもの。ある章ではそれが、西行本人の独白であることも。多くの語りの中から、西行の生きざまが立ち現れてきます。

 

読了して思ったのは、これは「力」のあり方についての物語である、ということでした。院政を敷いた鳥羽上皇と崇徳天皇、そしてその後の「権力」の推移、そしてそれがもたらした保元の乱と「武力」の台頭。

 

そうした激動の時代にあって、西行は歌のもつ大いなる「ちから」を体感し、それを信じていました。歌こそが、時代に翻弄される人間を苦しみから掬い取る力である、と。文中で彼はこう語っています。

 

「歌は、宿命によって雁字搦めに縛られた浮世の上を飛ぶ自在な翼だ。浮世を包み、浮世を真空妙有の場に変成し、森羅万象に法爾自然の微笑を与える。」

 

もうひとつ、物語が進むにつれて顕著になっていくある表現手法がありました。それは「和語のルビ」です。例えば上記の「森羅万象」にはこうルビが振られているんです。「いきとしいけるもの」と。

 

他にも、現実(ありのまま)、宿命(さだめ)、真理(まこと)、永遠(はてなし・とこしなえ)、同調(ともなり)、高揚(たかぶり)、歓喜(よろこび)、全身全霊(このみすべて)といった感じ。

 

著者の意図は不明ですが、でも確かに平安時代の人々が現代人のように音読みの熟語を使っていたとは思えません。古より続くこのような「和語」を多用して会話していたはず、ということに気付かされました。

 

西行は歌についてこうも言っています。「森羅万象の持つ仏陀の柔和な円光こそ、私には唯一の歌の心と読めた」と。そしてそれに触れる歓喜を言葉という容器に保存する仕組みが「歌」なのである、と。

 

西行が考えた「美」の容器としての「言葉の力」をも読者に伝えるべく、折々に登場する「歌」そのものに加えて、辻邦生は本文中にもこうした和語を多用するという手法を使ったのかもしれませんね。

 

美しいものにふれ、大自然の営みにふれて人間が得る喜びは他に代え難いものがあると、私自身も思います。それを与える力を歌という表現で突き詰めた人物の生涯にも、また大きな力を感じたことでした。


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