密度と人情

〈火災の延焼を防げる街のあり方とは、ハードだけではないと感じます。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は、昨日の日経新聞に載っていた記事について、感じたことを書こうと思います。その記事にはこういう見出しがついていました。「都内の木密対策、足踏み 不燃化へ具体策乏しく」と。

 

新聞の見出しなのでかなり省略形ですね。「木密」というのは「木密地域」、即ち木造住宅密集地域のことを指したもの。東京では、これらの地域への対策がなかなか上手く進まない、という記事でした。

 

半年前、新潟の糸魚川で起こった大火事を覚えておられますか。この火事もまた木密地域で、その延焼のしやすさがあれほどの大規模火災になった原因のひとつとされています。火が広がりやすい街並みだ、と。

 

そしてこうした木密地域はまだまだ大都市の中に多く残されています。東京も、そして大阪にも、たとえば冒頭の写真のような感じの、木造住宅が密集して前の道路も狭い、そういう街区がたくさんある。

 

記事は、近い将来に予測される首都直下型自身に備えるべく、こうした地域において「不燃化」「建物間隔確保」「道路整備」といった延焼防止策を進めたい都の思惑がなかなか進まない現状のことでした。

 

都の思惑である防災計画についても間違っていないと思いますし、しかし一朝一夕にはいかないその状況のことも理解できます。ただ記事を読んだ私には、その不調の現実とは別に少し思うところがありました。

 

そもそも木密地域とは、第二次世界大戦の影響を受けなかった古い街区構成が残っているもの、それと高度経済成長期にかなり無秩序に建築行為がおこなわれた結果生まれたもの、などがあると思います。

 

そうした、悪く言えばひしめき合う家々にはしかし、何というか、人のふれあいがありました。私も子どもの頃は狭い長屋に住んでいて、近所の人もみな家族のような、あの人情味あふれる感覚を知っています。

 

私の世代以上の方々なら、冒頭の写真に何とも言えず懐かしい感覚をもたれたことでしょう。そしてこうした街区全体が家族のような付き合いには、皆で防災に気をつけるという連帯感もあったと思うんです。

 

ところが段々と高齢化社会となり、家族の構成人数も減り、住人が不在の家が増え、こうした防災という観点においての「街のソフト」が弱体化してしまった。それも、延焼しやすい街である大きな理由のはず。

 

と言って、街の人間構成を昔に戻せと言っても無理で、そうした社会状況を前提としてハード面での防災策が色々と練られている。それに何ら異存はありませんし、災害が起こらないに越したことはない。

 

しかし、防災あるいは災害時の対処には、ハードだけでは上手くいきません。同じ街に共に住む人間同士の関係のあり方が、そこには大きく関わってくる。そうしたソフト面での防災も同様に大事ですよね。

 

正直、懐かしい街並みが喪われていくことへの感傷も、確かにあります。また、防災的観点で優れた街とはどんなものかということに、正解をもつ自信は全くありません。それは非常に難しい問題ですから。

 

ただ、人間の感情、人間同士のふれあい、そういうものを排除して成立しているような街は、どんなものであっても防災的に優れているとは言えないなあ。記事を読んで、そういうことを感じていた次第です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です