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木の家123

〈たまに耳にする、間違ったご認識の言葉。今日はその正しい説明です。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

色んな方と「木の家」の話をしている中で、時々耳にすることがあります。今日またそのお話があったので、またここに書きます。私が時々聞くということは、多くの方が思ってらっしゃるかもしれませんし。

 

今日また聞いたその言葉は、「木の家って3階建てにはしにくいんでしょうね」という意味合いのもの。これを口にされる方は、木造とは鉄骨やコンクリートよりもずっと弱いものだというご認識のようです。

 

といっても街中には3階建が多くありますから、あるいは木造住宅一般と、KJWORKSがつくるような木材を表しで魅せる「木の家」とは、同じ木造でもちょっと違うものだというご認識なのかもしれません。

 

こういうお話を聞くと、私はいつもこうお答えするようにしています。「いえいえ、そんなことはありません。3階建の木の家、普通につくれますよ。現に私も、3階建の木の家に住んでるんですから」と。

 

今日の冒頭の写真は、私が最も最近に関わった3階建の木の家です。これ以前にも、私の自宅を含めていくつもの3階建をつくってきました。なので、その間取りづくりのノウハウもよくわかっているんです。

 

3階建になる場合というのは、やはり敷地面積にあまり余裕がない場合が多いですね。その中で1階部分にはやはり車庫を確保したいということになると、ちょっと2層分では家としての床面積が確保できない。

 

そういう時、暮らしのメインとなるLDK廻りを2階に、1階は玄関と水廻りと寝間(あるいは+納戸)、子供部屋が3階、という間取りが合理的。今までつくってきた3階建の木の家も、その多くがこの形です。

 

玄関入ったらまず階段で2階のLDKへ上がり、子どもたちはそこを通って自分の部屋へ行けます。家が3層になると、ちょうど中間の2階にあるLDKを中心とした暮らし方が、人の動線という意味で都合がいい。

 

また、玄関、脱衣室+浴室、トイレといった「小部屋」が1階にまとまる、ということは、1階に最も「壁」が多くなるということ。これが、3層分の構造を支えるという強度の点でも合理的なんですね。

 

また、敷地面積が小さめということは、その周囲も建て込んでいること普通です。そういう敷地では周りも3階建が多いですから、LDKは上の階にある方が明るいし、水廻りが1階というのも理に適っている。

 

写真の木の家には建物の中にインナーガレージがあるのですが、これも2階にLDKがあればこそ。そして道向いには緑豊かな公園があるので、道路を見ずに借景だけを楽しむ意味でも3階建が似合っていますね。

 

私もずっと木の家づくりをやってきて、1階建(平屋)、2階建、3階建と、それぞれの間取りの特徴もほぼ把握しているつもりです。そして敷地を見れば、どんなタイプが合うかは、すぐにわかります。

 

皆さま、どうぞ「木の家の強度」について誤解なきよう。3階建でも全然問題ありません。「準防火地域」と呼ばれるエリアでは木の見せ方に工夫が必要ですが、構造面では問題なく建てることが可能ですよ。

 

冒頭のようなお話を聞くたび、そんな誤解がまだあることにちょっとびっくりしますので、今日はあえてまた書かせていただきました。家づくりをお考えの方は、安心してその選択肢に加えていただきますよう。

 

なお、このHPの「間取りギャラリー」にもいくつか登場していますので、よろしければ是非ご笑覧くださいませ。

間取りギャラリー:木造3階建の間取り

ノマド見習い

〈道具と環境とが整えば、一部の志事は外出中でも済ませられそうです。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。今日は「志事のしかた」の話を。

 

最近とても移動が多く、事務所でゆっくり作業している時間が減ってしまっています。1月にこのブログで、「雲の恩恵」と題して出先用の小さなPCのことを書きましたが、これが近頃は大活躍の日々です。

 

「木の保育園」敷地は大阪府内ですので、朝などは事務所より自宅から直行が都合がいいし、そこからまた箕面の本社へ行ったりと、一旦芦屋まで戻ると時間の無駄になる、ということが増えてきたんですね。

 

なので、空き時間には外で居場所を見つけてPC作業をしています。こういう定位置をもたない志事のしかたを「ノマド(遊牧民)ワーカー」なんて言うそうですが、ちょっとだけそこに足を踏み入れた感じ。

 

先日のブログに書いたのは、複数のPCを使い分けても、クラウドにファイルデータを置いておけばその都度同期してくれて作業に支障がない、という話でした。外出先でもその恩恵は同じように受けられます。

 

ただし、根本的にネットに繋がっている必要がある。「Wi-Fi」というやつですね。これが整備されていて、しかも落ち着いて作業ができる場所というのはあるようであまりない。やってみて初めてわかりました。

 

今日の冒頭の写真は、西宮にあるスタバでのひとコマ。スターバックスでPC作業をする人が多いとは思っていましたが、その理由は、上記をクリアする場所だからなんですね。それも経験してわかりました。

 

といって、一日に何度もコーヒーばかり飲むわけにもいかないし、ノマドもなかなか難しいものですね。完全に事務所などの定位置をなくすというのは、私にはとても出来そうにない、と感じた次第。

 

それともうひとつ「ノマド的」になりきれない部分が写真に写っていて、それはマウスです。こうしたノートを軽快に使う方々は、キーボード手前の「タッチパッド」を上手に操るのですが、それが出来ない。

 

もちろん最初はタッチパッドで操作しようと試みました。でも全然捗らないし、段々イライラしてきて精神衛生上もよくない。なので結局小さい無線のマウスを買って、ようやく操作のストレスが消えましたね。

 

事程左様に、あまりノマド的な志事の仕方は向いていないヒトのようです。でも、外で作業をしようと思えば出来るというだけでも、無駄にしてしまう時間はずいぶんと減ったのではないかと思いますが。

 

まあ、自分としてもこうした志事の仕方は、見習い程度で全然かまいません。要は時間の無駄をなくしたいだけですから。事務所という定位位置、家のダイニングという定位置をなくすのは不可能です。

 

でも、この写真の席のように、時にこうして屋外に近い感じの場所で志事をするのは、気分転換としてはとてもよろしい。おそらく私のようなノマド見習いには、そんな効果を楽しむくらいがちょうどいいのでしょうね。

ピックアップの示唆

〈「木の空間」での会のために、テーマに沿って蔵書の一部を並べてみました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

このブログを書いているいま、時刻は午後5時半過ぎ。今日は今から、ここ私の事務所「木の空間」にて、久しぶりに出張須澤鮨をゲストの皆さんと共に楽しむ予定でして、その前に書いておく算段です。

 

そして冒頭の写真、13冊の本がチェストの上に並んでいます。今日の集まりは、お鮨を楽しみながらの意見交換会だということで、そのテーマにちょっと関連するかな、というものを本棚から出してきました。

 

今日の会は「芦屋で素志活!」という名前で、プレシャスアカデミーの永里さんが主催の会です。毎回いろんなゲストの方々がこられるのですが、昨年10月の時に、神社の宮司さまがお見えになったんです。

 

その時色々とお話をしたことが非常に印象深いもので、こういうためになるお話は皆で聞きたいと、日本の神さま、神道についてのお話をお聞きする会を永里さんが別途主催されることになりました。

 

残念ながら私はその会には都合が合わず、参加できなかったのですが、その時の録音を聞かせていただくことができました。やはり宮司さま御自らがお話になる神道のお話は、その厚みが違いましたね。

 

私自身は、信心深い仏教徒でも、敬虔な神道崇拝者でもありませんが、日本古来のものには全般的にとても興味がありますし、「八百万の神々」という思想、アニミズム的な精霊信仰には大いに共感するものです。

 

そして、今日の会は、その宮司さまのお話を聞かれた方々が集って、意見交換をするという主旨と聞きました。参加できなかった私ですが、それならとばかりに蔵書の中から選んで並べてみた、という次第。

 

神道というものから少し間口を広げて「日本を知る」的な書籍を選びました。先月も書評ブログに書きましたが、私にとって「日本」の探求者と言えば、まず白洲正子女史。なのでその関連図書が一番多いですね。

 

その書評ブログに私は白洲正子の中心にあるものとして西行法師の歌を載せましたが、宮司さまのお話の中にもその歌が出てきました。やはり通じるところがあるんだなあと、大いに感じ入るところがありました。

 

そしてもう一人「日本的なもの」を求道する知の巨人・松岡正剛も忘れてはなりません。残念ながらここの蔵書には一冊だけですが、『日本という方法』というズバリのもの。『花鳥風月の科学』も名著です。

 

他にも宮本常一、和辻哲郎の作も、他の面から日本を知る名著だと思いますので同席を。さらに世阿弥の風姿花伝、鴨長明の方丈記をやさしく解説した本も、同じく日本の古典に入門する意味で並べてみました。

 

さらに歴史家・網野善彦の労作『日本の歴史を読み直す』、アレックス・カーの『美しき日本の残像』、そしてこれは日本の風習という意味で『おうちで楽しむにほんの行事』というガイド本も入っています。

 

会にお越しになる皆さんに一冊でもご興味をもってもらえたら、と思ってピックアップしてみましたが、こういう機会は普段あまりないので、自分の蔵書を再点検するという意味があるなあ、と思いました。

 

そしてまた、こうした行為のなかから新たな気づきがあり、私自身のこれからするべき読書への示唆を得たりもします。なるほど、本をテーマで並べてみるのにはそういう意義もあるかと、かなり新鮮な気分。

 

他の人に何かを説明するべく、己の引出しの中身を出して並べてみる。そうすることで、普段は意識下にあることに新たな光が当たる。利他が自利を生むとはこのこと、嬉しい気持ちで今から会に臨めそうです。

印象のキャッチボール

〈この図面が建物になるとどうなるか。その情報共有がもたらす効果は色々あります。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

このところ私が携わる志事は、主として設計段階のものが多いので、以前のように木の家の現場を皆さんにご紹介したりという記事がこのブログに上げられておらず、正直自分でもちょっと歯がゆい気持ち。

 

でも、設計段階の作業はブログでご紹介しにくいというだけであって、志事自体はなかなか充実しておりますよ。打合せ、図面作成、見積り、そして工事のための現地下見など、やることはいくらでもあります。

 

とはいえ時には少しご紹介を、ということで、今日は建物の完成予想図的な3Dモデルの絵を上げてみました。「木の保育園」の計画を新築、リフォーム、敷地取得など様々な方面から詰める中でつくったもの。

 

あくまで「木の家」の延長線上にある、家庭的な雰囲気をもった保育園。園庭とのつながりをつくる大きなデッキと、眺望を楽しめるバルコニーをもった保育園。薪ストーブのある保育園。そんなイメージです。

 

実は、残念ながらこの絵の新築建物は途中で計画変更になってしまいました。やはりこの敷地の中にこの建物では園庭の面積が確保しにくいということで、もっと広い別の敷地で計画し直すことになったんです。

 

色々と検討した絵ですので、残念な気持ちもあります。しかし、このような3Dの絵を完成イメージとしてつくることで、図面だけではわからなかったことがお客さまに伝わり、よりよい方向へ変更になった。

 

なので結果的にはよかったし、それよりも建物の姿を共有出来ないままに建ててしまってから後悔するほうが、よっぽどこわいことですね。そう思えば、こうした「完成イメージ」の共有の意義は大きい。

 

図面という3次元を2次元に投影した絵では、つたえられないものがある。図面を読むのが苦手な方には、それは何も完成イメージを想起しないですから。想像できないものに、人は印象を抱きませんし。

 

そう考えてみると、こうした3Dイメージには単にその建築の情報を共有するだけでなく、その完成した姿に施主が抱く印象を引出し、それを設計者へフィードバックする、という効果があると言えそうです。

 

いわば「印象のキャッチボール」のためのツールということですね。この「印象」というのは、その建物に愛着をもてるか、という部分に関わってくる、実は非常に大きな意味をもつ要因なのでしょう。

 

幸いなことにこの絵の建物は、よい印象をお客さまに抱いてもらえたようです。「新しい敷地でも、こういうイメージで」とのお言葉をちょうだいでき、時間をかけてこうした3D画像をつくった甲斐がありました。

 

建築の設計というものは、とことん理詰めで固めていくものではなく、こうした「印象」というような、どちらかというと好き嫌いに類する話によって決まる部分もある。そこがまた面白いのではないでしょうか。

 

デザインとは、まさに理論と感覚との間を揺れながら進んでいくもの。そして節目節目で依頼者とつくり手各々の印象をキャッチボールしながら、お互いに好きでいられるものへと着地する行為、なのでしょうね。

日本のひなた

〈私の第二の故郷と言える場所を、上手に言い表すキャッチフレーズが登場しています。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

先ほど、大阪へと帰ってまいりました。今回は二日間の宮崎で、実はこのお彼岸の時期に帰省することは初めてだったんです。いつもはお盆と年末年始に帰るというのが、山口家の決まりでしたから。

 

宮崎県出身の多くの方がそのように盆正月の帰省をされているはずですので、きっと今回は空港も閑散としているのかな、と思っていたら、さにあらず。行きも帰りも、いつも以上の混雑だったのでした。

 

冒頭の写真がその空港内部の写真。いつからか「宮崎ブーゲンビリア空港」という、ちょっと「?」な名前になりました。そしてこの写真の中に、今のお彼岸の時期に宮崎への来訪者が増える理由のひとつが。

 

それは「ゴルフ」ですね。今週末のレディストーナメントの広告が大々的に打たれていました。そしてこの時期、自身がゴルフを楽しむために宮崎を訪れる方も多い。ゴルフバッグをあちこちで見かけます。

 

そして早春の宮崎が賑わう理由、もうひとつは「キャンプ」です。プロ野球ではジャイアンツ、ホークスを中心に何球団も、そしてサッカーJリーグの多くのチームも、宮崎へキャンプに訪れていますね。

 

やはりこれらは宮崎の温暖な気候がその理由で、今回の訪問でも関西よりだいぶ暖かかったのです。そして先月来た時から、そんな宮崎県の特性を謳った新しいキャッチフレーズが空港にも登場していました。

 

写真にもその幟が写っていますが、それは「日本のひなた宮崎県」というのです。これが、宮崎に通い続けてきた関西人である私には、かなり言い得て妙というか、上手い表現だと感じられるんですね。

 

ちょっと長いですが、宮崎県HPから、そのコンセプトを引用してみましょう。

ひなた。それは漢字で書くと「日向」。

ふりかえれば、宮崎は神話の時代から「日向」と称されてきた土地でした。

ひなたは、ゆっくりとした時間をつくる。

ひなたは、人柄をあたたかくする。

ひなたは、太陽の恵みで豊かな食を生み出す。

ひなたは、人々に希望と活力をもたらす。

いま、この国に必要なのは、そんなひなたのチカラだと思う。

宮崎を、日本のひなたのような存在へ。そう願う私たちの新しい取り組みが始まります。

 

どうでしょうか。日向国(ひゅうがのくに)の日向(ひゅうが・ひむか)と日向(ひなた)が同じ字を書くことを上手く活かして、そこに宮崎県の特徴をうまく盛り込んでいる。私はそう感じるんですね。

 

「ひなた」という言葉からイメージされる「ゆったり」「穏やか」「暖かさ」「陽の恵み」「豊かさ」というような言葉が、まさに宮崎の気候や、宮崎県人の皆さんの持ち味を言い当てているなあ、と。

 

「日向(ひゅうが)時間」という言葉があるほどにゆったり流れる時間も、そして穏やかで暖かい、素直な心の持ち主が多いと感じることも、まさに「ひなた」っぽい。そこには平和という言葉が似合うんです。

 

そして、これも以前にこのブログに書いたことですが、宮崎県は学校給食に使われる全ての食材を県内産のものでまかなっています。そうした太陽の恵み、豊かさの象徴としてもこの「ひなた」は相応しい。

 

今日はあえて宮崎讃歌を書きました。関西ではほとんど知られていないことだと思うし、通ってわかるその良さが、今の時期にもいつも以上に感じられましたから。皆さんも是非一度訪れてみてくださいませ。

いのちの気配

〈法要で宮崎へ。散歩で海を訪れ、生きることに思いを馳せる時間です。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は早朝に大阪を発ち、先月他界した義父の四十九日で、家族とまた宮崎に来ております。大阪、東京、福井から親族が集い、お寺さんでの法要を無事におさめることが出来ました。

 

夕方から時間が空いたので、いつものように一人ゆっくりと散歩を。奥さんの実家から私が歩く先は、近くの一ツ葉神社からビーチを巡るコース。正月には初日の出を見に行くルートでもあります。

 

先月にお別れして、もう四十九日。時の経つのは早いですね。義父の冥福を祈りつつ、今日はふと、一ツ葉ビーチの突堤から見える海の眺めに浸りたい気持ちになったのでした。

 

以前も投稿したことがありますが、冒頭がその景色です。大阪でも芦屋でもこうは見ることが出来ない、雄大な太平洋。ここでしばらく、何ものにも追われずに過ごす時間は、とても贅沢ですね。

 

でも、神話の里といわれる宮崎にいるからでしょうか。ここで太平洋を眺めていると大抵、日々のことよりもっと根源的なこと、例えば生命や輪廻、そういうことを頭に浮かべている気がします。

 

今日、海が見たくなったのも、そういう気分になったからかもしれませんね。法要の場に身を置いていると、やはり人の命やその連鎖、というようなことの思考がどうしても生じてきますから。

 

といって、何か一所懸命に考えて結論を出す、というような話ではありません。海という生命の源、その果てしない眺めに誘われるように、なんとなくぼんやりと想いを馳せている、そんな感じ。

 

思うに、ここ宮崎にはその温暖な気候もあるし、「国産みの伝説」が生きる地域ということもあるのか、私にとっては関西よりもずっと濃厚に、生命力というか、生命の気配が伝わってくる気がします。

 

それは雄大な海の景色からも感じますし、例えば次のような場面からも。今日すでに水の入った田んぼは、もうすぐ田植えですね。宮崎では二期作、二毛作が普通で米も2回採れ、自然の生命力が強い感じ。

 

そうした中で今日、ぼんやりと人の命について考えていると、もっと大きな生命力の枠組み、大自然という輪廻の世界の中での生命というものへと、その小さな思考がだんだんと溶けていくような気がしました。

 

ちょっと結論がなくて申し訳ありませんが、自然の中の一部として生き、そして死ぬということ、それがしやすい場所なのかもしれない、そう宮崎でいま考えています。

待ち侘びの花

〈今年も芦屋の事務所のすぐ前で、この緋色の花が眼を楽しませてくれます。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

もうすぐお彼岸、だいぶ暖かくなってきましたね。今日は朝からよい天気で、私の芦屋の事務所「木の空間」が入っているビルのすぐ前では、冒頭の写真の花がいよいよ満開になろうとしていますよ。

 

この樹は「寒緋桜(かんひざくら)」という、れっきとした桜の樹です。芦屋に来てから3回めの開花ですが、単にビル前にあるからだけでなく、この花の時季にはとても気になって、毎日観察している私。

 

今日書くにあたって調べてみたら、一昨年に寒緋桜との出会いのことをブログに書いていました。芦屋に来るまで見たことがなかったので、その特徴的な生態が面白く、いっぺんで好きになったということを。

 

そう、毎日観察しているのもその生態ゆえなんです。写真でわかるとおり、この桜は下を向いて咲きます。そして花弁が開ききることはなく、筒状のまま。なんというか、ボソボソっと咲くんですね。

 

なので、満開なのかどうなのかがわからない。しかも、時期を過ぎると、椿の花と同じようにボトッと花全体が落ちる。染井吉野を始めとする春の主役の桜たちとは、全く違う咲き方、散り方だと言えるでしょう。

 

その美しい色彩とは裏腹に、その生態には、利休がいう「侘び」に通じる風情がある。そう私は感じるし、そこが好きなんです。満開を誇り、さらに散りながらそれを誇る桜とはまさに対照的ではありませんか。

 

「寒緋桜」の名の由来は、多くの桜より少し前、まだ寒さが残る頃に咲くことと、その花の色からでしょう。「緋寒桜」とも言うそうですが、咲く時期も同じ「彼岸桜」と紛らわしいため、寒緋桜になったとか。

 

春を待ち続け、そして寒さに別れを告げるように咲く花。しかしその咲き方には暖かさよりもむしろ寒い季節の風情、「不足の美」とも言うべき味わいがある。別れの季節とも言えるこの時期に相応しい桜。

 

芦屋で志事を始めてからの私にとって、春はこの寒緋桜が教えてくれるものになりました。今年もまた「満開」という言葉が似合わないこの桜を眺め続け、物思いに誘われるような時間を楽しんでいます。

ことばの様式

『新装版 若き獅子』   池波正太郎 著   講談社文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

つ、ついに池波正太郎を読んでしまいました(笑)。この時代小説の大作家、無論以前から気にはなっております。しかし『剣客商売』、『鬼平犯科帳』、『仕掛人・藤枝梅安』などには恐れ多くて手が出ない。

 

でも、最近知ったんです。この大作家にわりと軽妙なタッチのエッセイ集などの著作も多くあることを。そして本書のような「歴史読み物」と言うべき書物も。こういうものから池波入門を、という次第です。

 

本書は、1961年から68年まで雑誌「歴史読本」に連載された短編を編んだもので、だいたい私が生まれた頃です。著者は40歳前後。多作な方の本を読む時、いくつくらいで書いたのか、私は気になりますね。

 

先に「歴史読み物」と書きましたが、いわゆる短編小説ではありません。「ある人物の史実を読み解く」という感じの中身で、文献調査による「こうであったのでは」という著者の考えが描かれています。

 

採り上げられているのは、主として幕末から明治維新を生きた人たち。表題の「若き獅子」は、高杉晋作の回のタイトルです。高杉晋作が最も有名人で、他には松平容保、河合継之助、小栗忠順と渋い人選。

 

あまり一般には知られていないこれらの人たちについて、その人物像を各回で描きつつ、池波正太郎が考える「明治維新」という動乱期の本質がそれらの中から浮かび上がってくる、そう感じられました。

 

そしてその文章がとてもいい。これが池波節か、と思いました。時代を追いつつ氏の考えを交えて描いていきながら、時々小説の一節が挿入されたような部分が登場する。その「読ませ方」が素晴らしい。

 

読ませる力は無論その内容にも漲っています。明治維新の英雄たちの他には「忠臣蔵」で二編が書かれていますが、浅野内匠頭、吉良上野介、ともに池波流の解釈あり、知られていない史実ありで愉しめました。

 

そしてなぜか一編だけ、異質な感じのものが混じっているのですが、それが葛飾北斎の章。これもまた画狂人・北斎の魅力を余すところなく伝えていて面白い。著者の共感ぶりも大いに伝わってきます。

 

読んで思いましたが、内容、文体、そして語り口も含め、やはり人気作家と呼ばれる方にはそれぞれ独自の「ことばの様式」をもっているんですね。平岩弓枝も、藤沢周平もそれが作品内に満ち満ちている。

 

今回初めて触れた池波正太郎作品にも、そのことが大いに感じられました。氏には「ダンディズム」系や「食」のエッセイ集もあるようですから、しばらく時代小説以外の池波世界に浸ってみるつもりです。

歩みにあわせて

〈木の家の周り、お庭を歩く道の部分のリフォームご提案でした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

昨日は建築技術と伝統構法について書きましたが、志事の方では宝塚のお客さま宅へ造園の業者さんと一緒にお伺いしていました。築14年を迎えようとする木の家と、その住まい手さんのところです。

 

ただ、今回のご訪問のわけは、木の家そのものではありません。その外構、敷地に入る門扉から玄関ポーチに至るまで、そのアプローチについてのご相談をいただいたので、その検討結果のご提案なのでした。

 

冒頭の写真がそのアプローチ。奥にポーチへの階段が見えますね。ここにはとても素敵な和風のお庭があるんです。元々あった母屋の隣に建てた家で、母屋との間もこうした石敷きの野趣ある通路になっています。

 

ただ、雰囲気はとても良いのですが、年月につれて段々と土もけずれて量が減ってくるし、石も傾いたり高さに差が出来たりしてきている。写真右の方には、排水の配管も露出してきてしまっていますね。

 

母屋にお住まいのご両親にとっては特に、お歳を召されるごとにこの路面が非常に歩きにくくなっており、もう雰囲気を重んじている場合でなく、そろそろ路面のやり替えをしたいというご依頼だったのでした。

 

確かに石は苔むしてきているし、雨の後などは滑りやすいでしょう。石の間の溝も場合によっては危ない。そろそろアプローチ全体をつくり変える時期なのかもしれません。事故があっては大変ですから。

 

とはいえ、この素敵な雰囲気をそこなうような工事はしたくありませんし、お客さまもそれは望んでおられません。できれば元々埋まっている自然石を何らか再利用し、当初の面影を残した風情にしたい。

 

ということで今回は、写真に写っている自然石をアプローチ路面の両側に配し、土の地面との境界にして、石に挟まれた路面を同様の色合いの玉砂利を使った「洗い出し」でまとめては、という提案でした。

 

造園業者さんによる手書きスケッチと同様の事例の写真などでご説明し、大きくはご理解をいただけました。ただ実際にどのような形状になるかは、アプローチがくねくねと曲がっているので、図面化は難しい。

 

このあたりが建築とは違う、外構工事の面白さでもあり難しさでもあるところですね。縦横高さできっちりと決められていく建築物とは、また違ったセンスが求められる。設計についても、施工についても。

 

今回はその改修工事の意図である「歩きやすく危なくない路面に」ということと、大きくは上記のような施工法でいきましょう、ということがお客さまとの共通認識で、あとはつくりながらの微調整。

 

そういう外構ならではの面白さ、私もとても興味があります。特に今回は、建物を含めた敷地全体に、経てきた時間を考慮して手を加えるということでもあり、実際の「歩行」性能を改善するということでもある。

 

何というか、外構造園というものも、建物とは別のかたちで「歩みに合わせて」また命を新たな生命を吹き込むことがポイントだし、それによってまた人の暮らし改めてに寄り添い直すものなんだなあ、と。

 

ちょっと駄洒落のようなオチですが、造園屋さんと一緒にアプローチの長さを測ったり写真を撮ったりしながら、何だかそんな考えが頭に浮かんでいた私だったのでした。

建築の嘘と真

〈立派な寺社建築が、思わぬ本末転倒になっている、そんな記事を読みました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日はある建物のことで、「?」となった話を書きます。あらかじめお断りしておきますが、以下はあくまでも私見にて、当事者の方にも、あるいは他の皆さまにも、色んな考え方があるだろうと思います。

 

ある建築雑誌のWEB記事に、薬師寺「食堂(じきどう)」の再建工事がほぼ完成した、という話題がありました。その再建工事に採用された最新の技術の紹介という主旨の記事。そう言えば確か先月、新聞にも載っていましたね。

 

その最新技術というのが、BIMと呼ばれるもの。BIMとはビルディング・ インフォメーション・モデリングの略で、簡単に言うとコンピュータ上に建築物の3次元モデルを丸ごとつくってしまうこと。と言っても単なる3次元CADではありません。

 

そこに表面仕上げの情報やコスト情報など、様々な設計・建設に必要な情報を埋め込み、このモデルを設計・施工から竣工後の維持管理にまで使う、という仕組み。いわば、仮想建築が図面の代わりをする、という感じでしょうか。

 

今回の薬師寺食堂の再建ではそのBIMの技術が活かされ、昔ながらの伝統工法と宮大工がもっていた規矩術といった情報がデータとして定着でき、再現可能な形で残すことができた。そんな意味のことが記事には書かれていました。

 

なるほど、伝統的な建築技術が否応なく廃れていく現代という時代において、こうしたデジタルデータ化というのも、先人の知恵を後世に遺す意味でとても意義深いことだと思うし、データ化とはこういう使われ方をすべきでしょう。

 

なのでこの記事も、その点では大いに感心しました。しかし、実はこの記事には、その功績を台無しにしてしまうと感じたほどに、私には信じられないことが書かれていたんです。それを読んで、本末転倒とはこのことだ、と思いました。

 

冒頭の写真が再建成ったその食堂ですが、この建物は木造でなく、鉄骨造だというんです。外観は周囲の建物に合わせたが、実際の内部構造は鉄骨で、BIMによってその形状を伝統工法のかたちに合致させたのだと。

 

理由としては、内部空間の活用法として大人数の集会のようなものも想定されるので、柱のない広い空間が必要となったから、とあります。いやいや、そんなもんもっと他に方法があるでしょ。木造をやめる理由にはならないでしょ。

 

私は、鉄骨造を忌み嫌っているのではありません。BIMという技術もすごいものだと思います。しかし、そんな最新技術を駆使してつくったものが、外観だけ木造で、実際には鉄骨造という「イミテーション」でいいのか?そう思うんです。

 

皆さんは天王寺にある「一心寺」というお寺をご存知でしょうか。これも賛否両論あるでしょうが、この境内の建物はRCあり、鉄骨あり、かなり入り混じっています。でもどの建物も伝統木造の模倣ではなく、独自の造形で建っている。

 

鉄骨造には鉄骨造らしい、コンクリート造にはコンクリート造らしい「かたち」があると思います。その雄々しい建築の構造体が感じられ、その素材の持ち味が大いに活かされた建築にこそ、我々は感動するのではないでしょうか。

 

おそらく薬師寺の場合にも、よんどころない事情があったのだろうとは思います。でも、最新の建築技術を駆使して、私から見ればイミテーションである建築が出来上がるということが、とても悲しく、寂しく感じられたのでした。

 

建築をつくるとき、その素材と構造、仕上げの組合せは誰もが自由に発想し得るべきです。しかし、そこに「嘘」はよくない。嘘が見える建築を人は「ハリボテ」と言うのではないか。嘘のない、真を尽くした建築を求めるべきではないのか。

 

今日はかなり批判的な文面になってしまいましたが、一人の建築屋のたわごと、皆さんはどうお感じになりますか?

料理の原動力

〈初の「出前ごはん」が楽しかったのはきっと、食べる方のために工夫するという原点が見えたから。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

連日の料理写真にて失礼いたします。ちゃんと木の家づくりの志事もしておりますので、ご安心を(笑)。でも今日はお昼前後に、さるパーティーへとお呼ばれしておりましたので、ちょっとそのことを。

 

「木の空間」ご利用の関係で親しくさせていただいている方々があるお祝い事のパーティーを開催されるというので、私にもお誘いをいただきました。場所は、お世話になっている永里さんのお宅です。

 

食べもの、飲みものは持ち寄りで、というフランクな集まり。でも、飲みものはともかく、食べるものの持ち寄りって正直なかなか迷うところですよね。私もそういう時、いつも持っていくものに悩みます。

 

でも、今日はいつもと条件が違っていたので、どうするかはすぐに決まりました。それは、会場が私の事務所から歩いて行ける距離にあるから。あ、じゃあ事務所のキッチンで何かつくっていけばええやん、と。

 

ということで今回は、いつもの「事務所ごはん」を携えて会場へと向かうことにしたのです。いわばデリバリーですね。そう決めると何だかちょっと楽しくなってきましたが、さて、じゃあ何をつくろうか。

 

事務所ごはんはいつもパスタですが、近くとは言えスパゲティはもっていく間にのびてしまって美味しくなくなりそう。じゃあペンネにしよう。お肉ものは冷めると油が固まったりするから、魚介がいいな。

 

と色々考えて結局、以前につくって美味しかった「蛸とルッコラペーストのパスタ」をつくることにしました。これなら少々冷めても美味しいだろう、と。これを2人前つくって持参し、皆に食べてもらおう。

 

そしてもう一品、私の好きなおつまみ「茗荷の生ハム巻き」をつくりました。今日の写真はそのパーティーが始まった時のもの。中央にあるのがペンネ、その右奥が生ハム巻きですね。別アングルでもう一枚。

 

バジルでなくルッコラをペーストにする、フルーツでなく茗荷を巻く、どちらも少しひねった感じが面白いし、実際どちらも美味しいんです。その面白さと味を、パーティーご参加の皆さんにお伝えしたくて。

 

そんなことを思ってメニューを決める、その考えることも楽しいし、実際につくっているのも、一人で自分用につくっているのよりとても楽しい。そして皆さんが「美味しい」と食べてくださると、とても嬉しい。

 

そしてそのことを通じて改めてわかった気がしたんです。料理をすることのモチベーションを高め、その行為を素直に愉しむための大切な原動力は、とにかく他の人に喜んで美味しく食べてもらうことだと。

 

いつもの事務所ごはんが今日は初の「出前ごはん」に。それが出来る場所での楽しい会に恵まれ、そして皆さんに自作を喜んでいただきました。そして私も、他の方の作をいただいて過ごせた、楽しい時間。

 

最近は「事務所ごはん」もちとサボり気味、これではいけませんね。料理を楽しみ上達へ導くための原動力を得るべく、またお客さまを「木の空間」でのランチにお招きせねば。そんなことを思った今日でした。

スマホ孝行

〈奥さんの苦手ごと、困りごとの助っ人として、滅多にない2人の時間を過ごせました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。今日はまたもプライベートのことにて、どうかご容赦を。

 

今日、私の事務所「木の空間」をメイクレッスンで使っていただいている時間を利用して、珍しく奥さんのお供をしていました。奥さんが休みの日に、彼女が困っている問題のサポート、それはスマホのこと。

 

先日このブログに、携帯電話のキャリアをS社から変えるという話を書きましたね。そのことを家族に話したら、なんと電話をもっている全員が同じくA社からR天モバイルへ変える、ということになったんです。

 

なったのはいいのですが、うちの奥さんはそういうIT機器関係はかなり不得意な分野で、乗り換えるということ自体に非常な困難がある。その助っ人として今日は彼女のお供をしていたというわけなのでした。

 

A社からの解約は何とか出来て、MNP(ナンバーポータビリティ)の予約番号をもらうところまでは、私が志事の昨日に終えていました。でも新しいR天への契約をどうしたらいいか、よくわからない。

 

さらに、古い方のiPhoneからiTunesにバックアップを取る際、「Apple ID」というやつが邪魔をする。その解決策もわからない。ということで今日は、心斎橋のアップルとR天モバイルをハシゴしてきたんです。

 

結果的には、どちらにもプロが居て相手をしてくれますから、ちゃんと話せばその解決法は教えてもらえます。でも、不得手な人には、その「出来ていないことを説明する」ことがそもそも難しいのですよね。

 

もちろん私もそんなに得意ではありませんが、なんとなくスマホを契約して使う、ということの「仕組み」は理解しているつもりです。通話、WEB、メールという、1台で出来るけれどそれぞれに違う機能も。

 

なので、今日は「困っていること、やりたいことをプロに伝える」という点での助太刀と言うか、あるいは通訳というか、そんな感じの時間でした。無事に乗り換えが出来たので、お役目は果たせましたよ。

 

そして今日の写真は、無事に乗り換えを終えて2人でいただいたイタリアンの前菜です。きっと精神的な重圧があったのでしょうね、無事に終えて急にお腹が減ったらしく、美味しくたくさんいただきました。

 

そういえば、たしか去年もこのブログに「たまには貴方と」と題して、そんな2人で食べた料理の写真を上げたと思い出しましたが、考えればあれからもう半年。空き時間が合うことの貴重さを改めて思います。

 

そして理由はどうあれ、奥さんから頼ってもらえるのはやはりパートナーとしてはちょっと嬉しいことだし、普段できていない分、今日はスマホを通じて少しは奥さん孝行が出来たかな、そう今思っています。

動きと安らぎの形

〈自然界にも多く生み出される幾何学模様は、きっとその内部空間にも愉しさが生まれることでしょう。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

年明け以降ずっと計画を進めてきている「木の保育園」、今日はまたお客さまとの打合せ内容を反映した図面を作成していました。まずは木の家をリフォームしてつくる保育園の計画が最初に実現します。

 

そのリフォーム計画には一部少しだけ増築する部分があるのですが、その部分を図面として表現しながら、私はお客さまが「こういう形にしたい」と言われたことに、とても納得できる気がしたのでした。

 

その小さな増築部は、六角形のかたちをしているんです。そしてそこは、大きな部屋にくっついていて、でもちょっと入口がわかりにくい感じのスペース。そう、いわば「子どもの隠れ家」というわけですね。

 

そういう小さな隠れ家的な場所を六角形で発想されたのにはお客さまなりの「楽しそう」という想いがおありだったと推察しますが、しかし建築的に言ってもこの形状は、四角形とは違った特徴をもつもの。

 

今日の冒頭の写真は、自然の中の六角形の代表とも言える「蜂の巣」です。これ以外にも、いわゆる「ベンゼン環」とか雪の結晶とか、トンボの複眼とか亀の甲羅とか、自然界に色々と六角形のものはあります。

 

あるひとつの面を同じ形でずっと埋め尽くすことを「平面充填」と言いますが、これが出来るのは正三角形、正方形、正六角形の三種類しかありません。蜂の巣は、まさに正六角形の平面充填の見本ですね。

 

ではなぜ蜂の巣は正三角形の連続ではないのか。それは、120度という内角をもつ正六角形が、その辺あるいは角の数が多い分だけ、外部からの力を他に分散しやすく出来ており、結果として安定しているから。

 

正三角形はがっちりと強度は高いが、分散の数が少なすぎて脆い。正方形は直交2方向のため、平面充填でも平行四辺形へと変形しやすい。力を他の5方向へ分散する正六角形が最も柔軟な強さをもつんです。

 

その「衝撃吸収力」という柔軟な強さをもつ平面充填の形は、「蜂の巣」という名前をそのまま冠して「ハニカム構造」という軽量かつ丈夫な工業素材となり、例えば航空機の機体などに活用されていますね。

 

そしてこの、まさに「安定の象徴」とも言えるかたちは、内部に居る時にもその安定の雰囲気を人に感じさせ、四角形でない「動きの面白さ」と「安らぎ」とを、同時にそこに生み出してくれることでしょう。

 

そんなことが、六角形の隠れ家を図面にしながら大いに感じられました。「ここは面白い場所になるぞ」と。そして、建築のプロでないお客さまがそういうご要望を出されたという、そのセンスに感心した次第。

 

変化と安らぎが共に満ちた、木でできた六角形の小さな部屋。そこでの子どもたちはとてもいい顔をしている。そんな気がします。まだ図面段階の検討ですが、一体どんな風に仕上がるか、今から楽しみな私です。

不出来な菓子から

〈勿体無いことをしない、生きていられることに感謝する、そんな話を娘にした3月11日でした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。3月11日、東日本大震災から今日で6年ですね。被災者の皆さまに改めて、心よりお見舞い申し上げます。

 

私は今日は、午後から家族の用事があるので、朝から自宅にて作業でした。特に打合せがなかったのと、今日という日にやるべきことがあって。それが冒頭の、出来損ないっぽい不揃いなクッキーづくりです。

 

先月のバレンタインの時、中学生の娘が手づくりのチョコを載せたクッキーを焼いた話をこのブログにも書きました。心を込めて手づくりするのは良いことですが、実はその後に私が注意したことがあったんです。

 

クッキー生地をハート形に型抜きすると、周囲の部分が残ります。50人分つくっていたので、そのヘタの部分も結構な量になる。それを娘が無造作に捨てようとするので、「そんな勿体無いことはダメ」と。

 

私は両親から、「食べるものを粗末にしない」ということを厳しく躾けられて育ちました。食事をいただく時の行儀作法と共に、それは私のものの考え方の真ん中に位置している、そう自分でも思います。

 

そして、両親ほど厳しくはありませんが、私も極力子どもたちにそういう話をしてきたつもりです。でも上記の通りあまり身についていない部分もある。今日はそれを行為で示してやろうという算段でした。

 

捨てずに冷蔵庫に入れさせたクッキー生地の残りと、これまた冷蔵庫の隅にあったチョコの切れ端を砕いて、暖かいミルクを足して練り、オーブンで焼きます。私はお菓子は初めてで、焼き方は娘に聞いて。

 

まあ、元の素材がちゃんとしたものですから、形は悪いですが味はまともです。焼きあがったクッキーを、娘と2人で食べました。「捨てんと置いといたら、こうやってまた使えるやろ?」なんて言いながら。

 

わが家のダイニングからは、道向かいの保育所が見えます。今日は3月11日ということで、国旗と市旗が弔意を示す「半旗」で揚がっています。その意味も説明し、不揃いなクッキーを食べながら、話をしました。

 

この家は阪神淡路の時も東日本の時も被害はなかったけど、いつそうなるかわからない。災害があって、食べることに困った人たちがたくさん居る。ものが食べられることの有難みを忘れたら、絶対あかんよ。

 

生きることは食べること。食べものを無駄にしてはいけない、こうして別の方法で食べることを考えればいい。勿体無いことをしたら、食べものをつくる人にも、食べられず困っている人たちにも申し訳がない。

 

実際にものを捨てずに再利用しながらの話でしたので、娘にも少しは伝わったようです。食べたあと、「おじいちゃんにお供えしよか」と言って、先月亡くなった義父の遺影にクッキーを供えてくれました。

 

生きるのに困ったことのない、恵まれて育った子どもたちにも、やはり折に触れてこういう話をすべきだし、そうした躾こそ親の務めですね。今日は、少しはそういうことをしてあげられた気がしました。

消失点さがし

〈水のない川がどこから出来るのか、確かめるために歩きました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。今日は私の個人的興味を追った話を、少し。

 

冒頭の写真、芦屋のシンボルである芦屋川の、河口方向(南)を見たものです。川に水がなく、渇水していますね。私が車で出社する時は川沿いを北上するのですが、この渇水という川の異常がとても気になる。

 

でも、事務所がある阪急芦屋川駅付近では、普通に水が流れる川辺の風景なんです。車だからじっくり観察できないけれど、なぜ途中で川が干上がるのか。そしてその干上がっている場所はどこなのだろうか?

 

そして今日、芦屋の南の方で木の家に住まわれているお客さまを訪ねる用事があって、さればとばかり、気になるこの「渇水」を調べてみるべく、川を観察しながら河口の方向へと歩いてみたのでした。

 

北から南へ、写真でご紹介しましょう。まずは国道2号線「業平橋」から北を見たところ。まだまだ水は豊富で、滝も普通に落ちています。川の両側は桜並木ですね。

 

次にもうすこし南下して、鳴尾御影線から北を見たところ。国道2号線より南では川沿いは松並木になり、こちらの方が歴史があるようですね。そしてまだここでも水は流れていました。

 

ところが、さらに南下して国道43号線をくぐる道沿いを歩いてから川を見たら、水がなくなっていました。

 

冒頭の写真は、ここで水辺に降りて河口側を見た様子なのでした。ということは、川が消えるポイントはこの国道43号の下あたりがあやしい。そして少し川沿いに戻ってみたら、やはりそうでした。

 

43号線の真下に川床も舗装された部分があって、それが土手のようになって水を堰き止め、そこで流れが止まってしまっている。ここが川の水の消失点だったんですね。広い国道の下なので見えにくかった。

 

戻ってから渇水について色々調べてみたのですが、こういう現象を「伏没」というのだそうですね。即ち、水が地面にしみこんでなくなってしまうこと。芦屋川下流域では、特に夏にはよくある現象のようです。

 

最近まとまった雨がないのでこうなっているのだと思いますが、ただ「よくある現象」で済ませていいのか、という気もする。川の水が消えるということは、そのエリアの生態系が失われることと同じですから。

 

芦屋川は山が近いせいか、私の事務所付近でも水がきれいで、夏には子どもたちが川で水遊びをしています。魚もいるので、なおさら楽しいのでしょう。街中でそんなことが出来ることはとても贅沢ですね。

 

でも、そこから少し下流では、もう魚が棲めない状況になっている。なにせ、水がないのですから。自然の現象だとはわかっていても、なんだかとても寂しい気持ちがするのは私だけではないでしょう。

 

ただ、山が近いということは、雨の量によって川の水量が大きく左右されるということでもある。芦屋川には増水の際の警報システムが配備されていますが、渇水もその逆の現象だということなのかもしれません。

 

古代から、人の暮らしにおいて「治水」はずっと重要なものでした。21世紀の現代の、なおかつこのようなそう大きくない規模の川であっても、それを治めるということは非常に難しいことなんですね。

 

今日は身近な川をゆっくりと歩いてみることで、自然というままならぬ存在を改めて実感するような、そんな気分になった私でした。

ジャンルの伸び代

〈手頃に買える感じの「仕舞える椅子」は未だよい定番がない状況のようです。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は椅子の写真ですね。実はこれ、KJWORKS阪神「木の空間」に以前からあるものですが、普段は仕舞っていて滅多に登場しません。今週久しぶりにこの椅子に座ったので、思うところを書いてみる気に。

 

普段は仕舞われている、と言うことからもわかるように、これは折りたたみ式の椅子です。でも、ビーチ材を使った無垢の木の椅子なんですよ。「faggio」という名前の、一応イタリア製のモノのようです。

 

「木の空間」には普通の椅子は7脚あり、そんなに人が来ることは滅多にありません。でも、中央の大テーブルには長辺に3、短辺に1、最大で8脚座れるので、その数は用意しておく意味で入手しました。

 

まあ、数が揃えばいいとは思うものの、不細工なのはいやだし、といって8番目の椅子にそうそう高価なものは必要ない。でもやっぱりパイプ椅子は無い、木の椅子がいい。そう思ってかなり探したものです。

 

折りたたみ式の木の椅子って、手頃で良いモノが本当に少ないんです。吉村順三他のデザインによる「たためる椅子」というようないわゆる名作はありますが、とても手頃に手に入る、とは言えません。

 

パイプ椅子の世界には「ニーチェア」というこれまたロングセラーの名作があって、これは入手しやすい価格です。でも用途が安楽椅子だから、ダイニングテーブルの周りに置いて使うものではない。

 

無印良品にも「折りたたみチェア」ありますね。これはリーズナブルだし、よく出来ていると思います。ただ、私の個人的な好みとしては、写真のfaggioの方がよかった。例えば、座面の微妙なカーブのあたりとか。

 

しかしこの製品にも、入手してみて今ひとつと感じたところもあります。ラッカー塗りの仕上がりがよくないとか、前脚をつなぐ横棒が2本だとちと「うるさい」とか。これは1本だと強度不足なのでしょうね。

 

要するに、定番がない。久しぶりに座って、今はもっとよいモノが出ているかと思って調べてもみたんですが、あまり状況は変わっていないようですね。画期的な新製品は見つけることができませんでした。

 

確かに、あまり需要がないジャンルなのかもしれません。でも、私も「木の空間」を講座などで使ってもらったりしますが、いわゆるレンタルスペースなどでは収納可能な折りたたみの木の椅子は便利ではないか。

 

でも、そういうスペースに未だ木の椅子の需要が多くないということは、スペース自体もいわゆるクロス張りタイルカーペット敷きの「会議室」的なところが多いのかなあなんて、ちょっと寂しく感じた次第。

 

人が集まる場所、そしてその使い方を変え得る空間。そうしたスペースにもっと「木の空間」が増えてくれば、こうした折りたたみ式の木の椅子というジャンルにもっと伸びる可能性が出てくるのでしょうね。

 

そうした伸び代のあるジャンルだと感じるものの、それが実現していないのは私たち木の空間をつくる者の怠慢であるのかもしれない。久しぶりにこの椅子に座って、ちょっと反省モードになった私でした。