山口 敏広 のすべての投稿

定番と変奏

〈しょっちゅうつくっている料理、その奥深さに改めて感じ入ったのでした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。今日は晩ご飯担当でふと面白く感じたことを書いてみます。

 

ちょうど一ヶ月前、「主夫の週末ふたたび」と題して家事のことを書きましたが、宮崎での私事から以降も週に2回か3回のペースで、晩ご飯担当をする日々が続いています。年度末に向けて奥さんも大変らしく。

 

こういうペースが続くと、何となくパターンが出来てきて、何をつくろうかと一所懸命考えたりはしなくなってきますね。私の場合、パスタ、中華と「粉もん」、そして今の時季は鍋、を順繰りにいく感じ。

 

冒頭の写真は昨日の晩ご飯ですが、パスタの時はだいたいこういうセット。大皿にパスタを2種か多い時は3種と、野菜主体のスープ系のもの、という組合せで、あとは写っていませんがパンが付きますね。

 

パターンはそうでも、パスタも何種類かあります。カルボナーラ、トマトソース、クリームソース、ペペロンチーノなど。写真は砂ずり・葱・水菜のペペロンチーノ、茄子・玉葱・ソーセージのトマトソースです。

 

今回はパスタにクリーム系がないので、スープの方は牛乳と生クリームを使ったポトフにしました。味の系統が重ならないようには、気をつけますね。パスタがクリームソースならスープはミネストローネ、とか。

 

このパスタとスープの組合せは、結構な頻度でつくる、いわば定番中の定番なんです。なので、いい加減飽きられるかと思ったりもしますが、案外奥さんと子どもたちはいつも楽しんで食べてくれていますね。

 

味の系統を変えたり、使う具もその時冷蔵庫にあるモノで変えたりするので、その少しずつ違うのが奏功しているのかもしれません。中でも一番の定番はカルボナーラですが、登場するのは月一回ほどですから。

 

で、昨日このメニューを食べながらふと思ったんです。こういう、大きくは定番として同じだが細かくは違っていて多くのバリエーションがあるというのは、パスタでは普通に出来ても、他では難しいな、と。

 

あくまで私の感覚かもわかりませんが、例えば他の麺類で晩ご飯に食べられるこうしたバリエーションが出来るかというと、ちょっと難しい。そもそも2種類出せるというのが、パスタ以外に思いつかない。

 

他にも、中華のご飯もので炒飯、中華丼、天津飯と変えていく手もありますが、これもバリエーションの数が限られるし、2種類はおかしいですね。ご飯ものだと、おかずが別に必要になる感じがします。

 

そう考えると、パスタという料理は凄いな。そう心から思ったんです。麺自体も色んな種類があるし、味付けも多々。具沢山にして色んな食材を食べられる。そして大皿から各自取って食べるのに違和感がない。

 

音楽の世界では、バリエーションのことを「変奏」と言いますね。Wikipediaでは「ある旋律のリズム、拍子、旋律、調子、和声などを変えたり、さまざまな装飾を付けるなどして変化を付けること」とあります。

 

パスタという料理は、まさに数多の変奏を許すだけの懐の深さというか、包容力というか、そういうものをもっているんだなあ。昨日はそのことに思い至って、何だかちょっと感動してしまったのでした。

 

「事務所ごはん」でもパスタをよくつくっているし、今頃何を言っているのか、という声もおありでしょう。でも自分ひとりで食べる用と、家族のためにつくるものの「変奏」の工夫とは違いますもんね。

 

パスタ讃歌が今日の狙いではないのですが、でも私のような不器用な者が、曲がりなりにも晩ご飯担当をこなしていけるのは、大いにこの懐の深い麺類のおかげなんだ。今回はそうしみじみ感じた次第であります。

若さをなぞりに

〈30年前に訪れた場所、当時はわかっていなかった楽しみを味わってきました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は朝から、岡山へ行っておりました。もちろん志事ですが、本来の用件である岡山駅近くでの打合せの後、少し時間があったので、以前から一度行きたかったところへ足を伸ばすことにしたんです。

 

それが冒頭の写真の場所。このあまり見ない形の御本殿、皆さんはご存知でしょうか。ここは、備中国一宮である「吉備津神社(きびつじんじゃ)」です。岡山駅から「桃太郎線」に乗って訪れました。

 

この、破風が横に二つ並ぶ変わった形の御本殿は「比翼入母屋造」、別名「吉備津造」と呼ばれる、ここにしかない形式です。足利義満の造営といわれ、御本殿と拝殿は共に国宝指定を受けています。

 

古来より神体山とされる「吉備の中山」の麓に建つ神社。こんな感じで、とても荘厳な雰囲気が漂います。

 

では、なぜ私はこの吉備津神社へ行きたかったか。その理由は30年前に遡ります。大学生の時、そんな由緒あるお社だとはあまりよく知らずに、所属していた弓道部の合宿で来たことがあったから、なんです。

 

この吉備津神社、境内に弓道場があったんですね。岡山駅前に宿を取って、毎日電車で弓道部のみんなと道場まで通ったものです。でも、当時は「弓道場のある神社」くらいしか認識がありませんでした。

 

その後、建築の志事をするようになり、この神社の歴史的価値、建築的価値を知ることになりました。そして、かつて自分が訪れた場所ということもあって、ぜひ一度再訪を、と思い続けていた次第。

 

岡山駅から総社へ向かう「桃太郎線」、昔はそんな名前ではなかったと思いますが、その2両編成の列車に揺られていると、だんだんと田舎の風景に。その雰囲気は、確かに見たことがある気がします。

 

神社についてまずは参拝をしましたが、拝殿や御本殿についての記憶は残念ながらやはりありません。しかしその後、今も遺る弓道場へ向かう長い回廊を歩くと、当時の記憶が蘇ってくるようでしたね。

 

あれから30年。当時の私と同じ歳の子をもつようになって、私自身の「眼」もだいぶ変わったのでしょう。吉備津造をもつ唯一の神社建築の素晴らしさ、歴史の重みは、今の私にはひしひしと伝わってきます。

 

あの時の自分にそれを教えてやりたい、そんな気分にもなりましたが、でも逆に、当時は漲っていた若さゆえのエネルギーを思い出し、その闇雲な力のあり方が50歳の私には少し羨ましくも感じられました。

 

きっと、その両方は授からないようになっているのが人間という存在なんでしょうね。しかし、若い頃の自分をなぞるようなこうした時間からは、その両方を相対化しつつそれらに想いを馳せることが出来る。

 

せっかく岡山に行くのだからと予定をやりくりして訪れただけのことはあったし、やっぱり今の自分は大学で建築を学びつつ弓道に打込んだあの自分の延長線上にある、そう素直に感じられたひとときでした。

 

ちなみに、今日岡山に行った理由はこれ。若葉家具さんとの「つみきばこ」のディテール打合せでした。岡山での打合せを提案いただいたことが今日の時間につながったので、井上社長には大いに感謝です。

泊まってみませんか

E-BOX 彩都モデルハウス 宿泊体験 ご案内ページ

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は少し宣伝をさせてくださいませ。KJWORKS本社「くらしの杜」に出来たE-BOX新モデルハウスでは、家づくりをお考えの方、薪ストーブを体感したい方向けに「宿泊体験」をおこなっているんです。

 

それが、実は最近とても人気だそうで、ご予約がたくさん入っていると先日本社のスタッフから聞きました。へええ、と思っていたら、私が担当している阪神地区からもお申込みがあり、近々ご宿泊の予定。

 

確かに、木の家の温もりと、薪ストーブの暖かさとを併せて体感するには、冬の寒い時期に泊まるのが一番いいですよね。また、宿泊ではキッチンもお使いいただけますし、お風呂もご利用いただけるのです。

 

このE-BOXモデルハウス、最近よく聞く「ZEH(ゼッチ)」対応の性能をもつ住宅です。ZEHとはゼロ・エネルギー・ハウスの略で、省エネ住宅にソーラーなどを組合せた、エネルギー消費のない家のことです。

 

そうした断熱気密面も高性能ですが、やはりそうした数字だけの話ではなく、身体で、五感でわかる心地よさの方が、私としてはお客さまに体感していただきたいですね。特に、家の中が均一に暖かいことを。

 

冒頭の画像右下の「MaHAtシステム」という文字は、全館空調をおこなう、このモデルハウスに組み込まれたシステムのこと。夏はエアコン一台で全館冷房、冬は薪ストーブの熱を全館に行き渡らせてくれます。

 

木と漆喰が生み出す美味しい空気、お水はT.N.リアライザーという浄水器でつくる、これまた美味しいもの。そんな、空間で過ごしてみて、味わってみてこそわかるものが、たくさん盛り込まれているんですよ。

 

私自身は木の家に暮らしていますので、その感じはある程度体感として知っています。でも、私やスタッフたちがいくら言葉を尽くしても、自分自身の五感に伝わってくるものの説得力には、遠く及びません。

 

すいません、なんだか終始アピールになってしまいましたが、でも一度はここでご説明させていただくつもりでした。この冬の間が宿泊体験も一番面白いのでは、と思います。皆さま一度、泊まってみませんか。

 

冒頭のページにはお申込みフォームもございます。ご興味おありの方はそちらからでも、また私にお声がけくださっても結構です。ぜひ、冬の夜に炎が生み出す格別な暖かさに包まれてみてくださいませ。

なくなる窓

〈すかっと抜けて日本の四季を感じられる窓、いいですね。〉                    ※写真はプロファイルウィンドウの取付事例を使わせていただいております。

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日はまただいぶ冷え込んで、寒かったですね。芦屋には朝方少し雪もちらついていましたし、ここのところ一旦暖かくなってからだから、余計に応える感じでした。

 

と言っても、今日も大半は事務所にこもって黙々と事務作業。私は基本的に冬は好きですが、こんな風にじっと室内にこもっている時には、屋外で体を伸ばしたいなあ、春よ来い、なんて思ったりしました。

 

そこで私の頭に浮かんだのが、冒頭の写真のような光景です。建物の中から、素敵な屋外の風景が見えていますね。でも、そこにあるはずの窓は姿を消して、見えない。まるで昔の日本家屋の木製建具のよう。

 

現代の住宅にはサッシについても高い断熱性能が求められますが、その性能確保とこうした開放感を両立できる窓があったらいいなあ、とは皆さん思うところでしょう。そしてそういう製品もあります。

 

しかもこの写真の窓は、隠れてしまって見えませんが、サッシ自体が木製です。閉まっている時は木の枠で大きなガラス、開いてしまうとサッシの存在がなくなってしまう。実に爽快な、楽しい窓ですね。

 

木の家にたずさわる者なら皆知っている、この製品は「プロファイルウィンドウ」というモノ。その豊富なラインナップの中にある「ヘーベシーベ引込み」というタイプが、写真のような大開口を実現します。

 

2枚の障子(しょうじ:サッシの動く部分をこう呼ぶんです)が、半分だけ開口になる、いわゆる「引違い窓」ではなく、障子全部が両側の壁の中に「引き込まれ」ていくことから、この名があります。

 

ヘーベシーベというのはドイツ語で、ハンドルを操作すると少し障子がもちあがり、重くても動かしやすくなるタイプの窓のこと。閉めてハンドルを戻すと、またしっかりと気密性能が取れるというわけ。

 

この大開口引込み窓、私もずっと使いたいと思って、もう何年も経っています。とても良いのですが、でも実は結構使うのが難しい窓でもあるんです。それは「引込み」出来るため壁が、窓の両側に必要だから。

 

開口部が大きいほど気持ちいいですが、ということは、開口部の2倍の寸法の壁が必要で、窓は壁の半分までになるということ。むしろ通常の「引違い」の方が、窓面積が大きく出来るということなんです。

 

そんな事情と開放感のバランス、間取りの一番最初から考えておかないと上手く効果を発揮できない。そう思うので、なかなか使えずにいるというのが正直なところ。高価な窓ですし、使うなら効果的でないと。

 

と、ここまで書いて、最近の私のブログを読んでくださっている方々には、ピンときたのではないでしょうか(笑)。はい、そうです。「木の保育園」に、これが使えないかと目論んでいるという次第なのです。

 

まだどうなるかわかりません。でもこういうチャンスはあまりないし、最初から「使いたい」という熱意をもっておかないと、上記の理由やコストなどに押し切られて結局ダメだった、となりかねませんから。

 

春になって、子どもたちがこの窓から木のデッキへ出て、中と外との区別なく遊んでいる。そんな風景が目に浮かびますね。今日は自分の想いの確認のような、ぜひ実現したい「なくなる窓」のご紹介でした。

間取りのココロ 003〈部屋に着くまで〉

〈玄関からの動線に工夫をすると、玄関はすっきり美しくなります。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

間取りのココロ、その第3回目にして、ようやく家の中へ入って行くことになりました。玄関ドアについても色々と言いたいことはありますが、それは「間取り」ではないので、今日は入ったところから。

 

冒頭の木の家の写真、とても素敵な玄関ですね。ドアを開けると、玄関ポーチと同じ御影石張りの土間仕上げ。ドアの横にはガラスが入って、目線が抜けることで外と中の一体感を高めているようです。

 

そのガラスの奥に見えているのが、このお宅の上り框(あがりがまち)。入って正面でなく、ここで一旦曲がる動きを取り入れるのも、内部への「引き」をつくる手法のひとつです。

 

でも、上り框とは別に、奥の方にもなんだか人が入っていけそうな空間がありますね。そこに姿見も取り付けられたりしています。ここには本当は「暖簾(のれん)」が付き、奥の部屋を見えにくくする仕様。

 

そしてこの奥の部屋は「シューズクローク」と呼ばれる場所。昔の言い方だと「内玄関」でしょうか。家族だけが使うプライベートな性格の、家の入口廻りに設ける収納のためのスペースをこう呼びますね。

 

ここで、全く同じではないのですが、この玄関まわりの間取りは、だいたいこんな感じです。

玄関ドアを開けて土間に入り、お客さまは朱色の方の動線を通って、家族の間(LDK)へと直接入ってくるようになっています。それに対して、家族は青い方の動線で、シューズクロークを通り抜けてくる。

 

そして、シューズクロークを抜けたところがトイレで、その向こうには手洗いがあります。家に帰ってきた時に「靴を脱いで棚に入れ、カバンやコートを掛け、入ってきて手を洗う」という動きに沿って。

 

ちなみに、お客さまの入ってくるところがリビング、家族の入ってくるところはキッチン寄りの場所になっています。これも、動線のパブリックとプライベートに対応しているというわけですね。

 

お客さまのご要望に応えてシューズクロークをつくることはよくありますが、出来ればこのように単なる収納部屋としてではなく、帰宅時の動線に沿って、その流れの中の一部として計画したいものです。

 

家によっては、このシューズクロークの続きとしてウォークインクロゼットが連続することもあります。その場合は「部屋着に着替える」という行為も、その動線上で併せておこなわれることになりますね。

 

表と裏、ハレとケ、パブリックとプライベート、言い方はさまざまですが、日常の家族動線と非日常の来客動線とを分けることで、玄関はすっきりと「人を招く」表情をもち得る、ということでしょう。

 

玄関というものに対する考え方も、本当に人それぞれだと思います。単なる「通過動線」のスペースでもあり、しかし家の入口という「顔」でもある。どちらに重きをおくかもまた、その家の個性となります。

 

しかし、ごちゃごちゃと乱雑な様相の玄関、というのは出来れば避けたいもの。シューズクロークという収納部屋は、そうした利便性に奉仕するものでもあり、玄関の「品」を保つためのものでもある。

 

あえて2WAYの動線を確保するのは、面積の浪費だという批判もあるかもしれません。しかし利便性と見映えを共に実現するのですから決して無駄ではなく、むしろ家の豊かさに奉仕している、というべきではないでしょうか。

夢を、ありがとう

〈永く生き続ける愛すべきファンタジー、その生みの親に感謝を捧げたいです。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は元々、「間取りのココロ」を書くつもりでいたのですが、昨日、悲しいニュースを知りましたので、追悼の意を込めてそのことを書きます。

 

冒頭の絵ですぐおわかりですね。左はコロボックル、右はミッフィー。この愛すべきキャラクターを生んだ児童文学作家の佐藤さとる氏と、そしてデザイナーのディック・ブルーナ氏が、相次いで亡くなりました。

 

私は少年の頃、コロボックルの物語が大好きでした。『だれも知らない小さな国』、『豆つぶほどの小さないぬ』、『星からおちた小さな人』、『ふしぎな目をした男の子』、何度も何度も読み返したものです。

 

「せいたかさん」と呼ばれることになる「ぼく」と、世話役(大統領)モチノキノヒコ、ヒイラギノヒコをはじめとするコロボックルたちの出会い。そこから「ぼく」の目の前に広がる、小人たちの世界。

 

村上勉氏のあの独特の雰囲気をもつ挿絵も素晴らしかった。黒い大きな眼をした、3センチほどの小人たち。その素敵なファンタジー全4巻を、胸弾ませながら、もう貪るように読みました。

 

その後高校生の頃、続巻が出たのを知ってまたあの世界に浸りたくなった、それもよく覚えています。そして読んだのが『小さな国のつづきの話』で、変わらぬ佐藤・村上コンビの世界がそこにありましたから。

 

そしてもう一人の巨匠・ブルーナ氏。ミッフィーには私ではなく、私の娘達がとてもお世話になりました。私が子どもの頃は「うさこちゃん」と呼ばれていたものですが、今やミッフィーは世界的な人気者ですね。

 

このシンプルな、しかし誰にも真似の出来ないキャラクター。点描のようにして描かれる少し震えた独特の線も、時代を超えて決して変わることのない、ディック・ブルーナならではの世界です。

 

コロボックルとミッフィー、どちらも私や娘達だけでなく、本当にたくさんの子どもたちをそのファンタジーの世界に誘ってくれたことでしょう。創造力の翼を広げる、その手助けをしてくれたことと思います。

 

その生みの親お二人を相次いで失ったことは、きっとその世界に夢を見たことのある人々に大きな衝撃であったかと想像します。しかし、その素晴らしいファンタジーの世界は今も、私たちの手に残されている。

 

なお、コロボックル物語は、2014年から作家・有川浩(ひろ)氏が続きを書いています。ミッフィーには別の描き手はいませんが、ブルーナ氏設立のメルシス社が著作権管理をし、今後もその世界は続くでしょう。

 

今はただ、夢の世界を私たちに遺して旅立たれたお二人のご冥福を心からお祈りし、そしてお二人に感謝の気持ちを表したいと思います。

人々の心から決して失われることのない、素晴らしい夢を、本当にどうもありがとう。

ランダムの恩恵

〈黙々と作業する時、意識を占領しないBGMが大事です。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は午前中打合せのあと、また午後からは木の保育園計画のいろんな検討、図面作成に没頭していました。今日は、この計画に限らず、私が事務所で黙々と作業をする時の「お供」をご紹介いたしましょう。

 

冒頭の画像がそれ。去年も確かこのブログに書いたことがありますが、これはAmazonの「 Prime Music」という会員向けのサービスで、その中にある「Amazonミュージックライブラリ」を使った画面です。

 

Amazonで「プライム会員(年会費3900円)」になると、色んな特典サービスがあるのですが、その中でもこの「 Prime Music」は凄い。本当に膨大な量の音楽が、聴き放題で楽しめるサービスなんですよ。

 

オンラインですから自由に検索が効き、アーティストからもアルバムからも、楽曲の名前からも調べたりできます。最近では、私はトーキング・ヘッズの昔聴いたであろうアルバムと、感動の再会をしました。

 

そういう使い方もあり、好きなアーティストの作品を楽しみつつPC作業ができる。でも、私が長い時間作業をする時にもっぱら使っているのは、「プレイリスト」という機能です。言わばテーマ別選曲集ですね。

 

このプレイリストが、まさに膨大な数あります。冒頭の写真は、プレイリストをジャンル別に分けた中の「クラシック」の画面。「仕事がはかどる」「朝に聞く」「読書しながら聴く」など、本当にたくさん。

 

これらの中からその時の気分に合わせてひとつ選び、それを流しておきながら志事をします。既知の曲、未知の曲どちらも含めて結構な長さがあり、作業の背景として軽く聴くBGMには非常によろしい。

 

一曲一曲をちゃんと聴いてはいないので、作業に集中している時は、意識もしていません。でも、ランダムに並ぶ曲たちの中から、ふっと一息ついた時に好きなメロディが流れていると嬉しいものですね。

 

また、そんな聞き流しているプレイリストの中から、思いがけずまた、好きになれそうな曲との出会いがあったりします。これもまた、ジャンル内でかつ自選でないランダムなリストだからこその面白さでしょう。

 

私は、日本語の歌詞の曲は「言葉」として聴いてしまって集中できないので、BGMにはクラシック系が一番ですが、作業の方に意識が向きつつも、心のどこかで流れている曲を受け止めている感覚があります。

 

その、意識はしていないけれど、何となく意識の片隅に音が流れているというバランスのよさも、この「曲順がわからない」というプレイリストだからこそ成せる業なのかも。最近はそう思っていますね。

 

実は、このブログを書き始めながらまた新しいプレイリストを聴いてみました。題して「80年代ポップス(男性編)」。でもこれはBGMとしては不合格でしたね。懐かし過ぎて、聴き入ってしまったりして。

 

そう考えると、曲が適度に「意識のバックグラウンド」として心地よく流れているというのも、なかなか難しい。私のような一度に2つのことが出来ない不器用者には、なおさらであります。

 

基本は好きなジャンルで、大半が知らない曲。そんなプレイリストを選ぶことで、よきランダムの恩恵にあずかれるのでしょう。着々と数を増やすAmazonさんに感謝しつつ、作業BGMの質を高めていきたいですね。

浮世絵の奥に

『江戸切絵図貼交屏風(えどきりえずはりまぜびょうぶ)』   辻邦生 著   文春文庫

 

「本を広げたかたちは、鳥のかたち。」

ご愛読、ありがとうございます。暮らしのプロデューサー、山口です。

 

年明け最初のこの書評ブログで採り上げた『嵯峨野明月記』、その著者による作品の2つめは、江戸が舞台の時代小説です。架空の浮世絵師をその主人公とした、連作短編シリーズになっていました。

 

タイトルにある「江戸切絵図」とは、今で言う「東京区分住宅地図」という感じの絵図のようです。本書の表紙にもそれがあしらわれていますが、折りたたんで携行するハンディマップのようなモノらしい。

 

著者は大正14年の生まれで、あとがき「藍いろに暮れていゆく江戸に」には「本郷西片町に生まれ、戦前の赤坂界隈で育った」とあります。また「赤坂溜池と山王下は幼少期の私のトポグラフィックな中心」とも。

 

そして本書は、著者の想い出深い場所に江戸の頃住んでいた浮世絵師の物語。彼、歌川貞芳が、美人画の像主(ぞうしゅ:絵のモデル)となった女性がもつ数奇な運命と事件に関わってゆく様を描いています。

 

全九話、どれも「捕物帳」的というか、推理小説仕立てのような部分があり、与力による謎解きの場面などもあったりします。でも各話に共通して本書を貫くテーマは、事件そのものではなく、その奥にある。

 

それは、ひとつには「幕藩体制のきしみ」とでも言うべきものでしょう。幕府との軋轢をもった地方の藩におこる内部抗争、その犠牲となった男女の哀しい物語が、各話それぞれのシチュエーションで語られます。

 

そしてもうひとつは、そうした哀しい物語を背負った女たちの中に垣間見える「美」と、それによって開眼していく貞芳の姿。物語冒頭では美人画に悩んでいた彼が、女の中に「美」というかたちで見た、その心。

 

この連作、脇役に版元・蔦屋重三郎が登場することから、時代的には寛政の頃(1790年頃)でしょう。浮世絵の花開く時代に、あるアーティストの浮世絵の奥にある「美」を描く物語、私には実に魅力的でした。

 

嵯峨野明月記ほど読み難くはなく、端正な気品ある文章で、事件の顛末や貞芳の行動、心情が描かれています。登場人物の会話が現代文であったり、物語の終え方も独特だったりと、大いに辻邦生流を感じる次第。

 

そして、本書のタイトルが表すとおり、彼の画室がある山王下や江戸市街の叙情的な風景が頻出します。それぞれの季節を絡めたこれらの描写もとても素晴らしい。東京に住む方ならもっと心に響くでしょうね。

 

仏文学者でもある著者には、西洋舞台の作品も色々あるらしい。でも私は次も、著者による時代小説を読んでみます。信長や、西行も。「美」をその主軸に据えた辻邦生の世界に、もう少し浸ってみるつもりです。

スケールを伝える

〈施設建築と住宅建築、そこに共通させたいものを伝えることは意外に難しいのでした。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日も「木の保育園」計画を検討する日。先日お客さまと打合せしたことを、またプランに反映する時間でした。今日の話は、その打合せの中でひとつ、お客さまに上手く伝えるのが難しいと感じたもののこと。

 

それは「家のスケール」ということ。今回の計画は、いつもの木の家の延長線上にある「木の保育園」なのですが、法規制の面では、2階以上に保育室をもつ保育園は「準耐火建築物」とする必要があるんです。

 

これを説明しだすとややこしいのですが、その中で「燃え代設計」というのがあります。木の柱や梁が火災時に燃えてしまって表面が炭化しても、内部に丈夫な部分が残るよう太めの寸法にしておく、というもの。

 

これを採用すると、準耐火建築物でも木造表しに出来るのですが、全てをそうすると柱も梁もかなり太くなってしまう。そこで私は「住宅のスケールではなくなってきますよね」という言葉を口にしたのでした。

 

でも、それはお客さまには伝わりにくかった様子。住宅のスケールってどういう意味?となって、その説明をしばらくするハメに。でも確かに「空間のスケール感」というのはかなり説明しにくいことですね。

 

「スケール」という言葉自体は、モノの大きさや規模という感じの意味です。でも、空間そのものの大きさということだけでなく、そこでの各々のパーツ同士のつりあい、ということも、そこには含まれている。

 

今日の冒頭の写真は、そんなお話をしていた時に、私がお客さまにお見せしていたもの。KJWORKS本社HPの「施工事例」からも見られますが、この心地よい吹抜けが、今回の保育園計画にもあるんですよ。

 

しかし、吹抜けもあまりに大きすぎると、それこそ住宅のスケールを超えてしまうし、それでは木の家の延長線上にある、家の雰囲気をもった保育園にはなりにくい。私にはそれは、とても大切なことなんですね。

 

スケールとかスケール感という言葉をそういう感覚を込めて使っていましたが、今回お客さまには「イメージ」という言葉に置き換えて話したほうが、掴みやすかったようです。「家のイメージじゃなくなる」と。

 

その、木の家のもつ感覚を維持したような施設、という意味を伝えるのは難しいと、今回初めて自分で意識しました。思えば確かに、そういう意味合いを伝える必要に迫られたことは、あまり無い気がします。

 

私たちつくり手は、自分がもつ感覚を素人であるお客さまにうまくご説明し、伝達することも大事な志事です。ちょっと今回は自分のスキル不足を感じてしまいましたが、最終的には意思の疎通ができて一安心。

 

いや、この歳になっても、まだまだ志事の中で学ぶことは無限にある。専門用語で凝り固まったようなプロにはなりたくない、そう常々思っている私としては、とても意義深い経験だったと思うのです。

和風のその先

〈システム住宅と呼ばれる木の家、その建て方の速さを実感しました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

年明け一番に地鎮祭をおこなった木の家の現場で、今日は待ちに待った建て方の日でした。私も何とか現場確認の時間をつくるべく、打合せの合間を縫って、お昼前に川西市の現場へと到着しました。

 

この木の家は、KJWORKSが新しく取り組むシステム住宅「E-BOX」です。集成材の柱や梁を使い、「ビッグウォール工法」で構造材と壁パネル、断熱材、サッシまでを一体化し、現場で一気に組み上げます。

 

なので、現場の進捗が早い。冒頭の写真はお昼少し前ですが、朝から始めてもう2階まで上がっています。あとは屋根を組むだけで、しかも窓までもう付いている。通常は夕方までかかりますから、早い早い。

 

当然、もう3時くらいには屋根まで到達し、屋根の防水シートまで、今日の内に出来上がってしまうんですよ。そして、この写真でもうひとつ見るべきものは、壁にくっついている水色のシートです。

 

これは透湿防水シートという名前で、外壁の防水のためのものです。このシートもビッグウォールについてくる。折りたたまれた四隅を広げて留めていけば、もう今日の内に外壁防水まで仕上がる、というわけ。

 

このように、一日で工事が屋根、壁ともに防水の段階まで進められるということは、その日が晴れならば、もう次の日からは雨でも心配ない、大事な構造体は濡れることがない、ということでもありますね。

 

実はこのことは、画期的な新手法というわけではなく、従来の日本家屋の方法をさらに推し進めたものだと言えるでしょう。日本の伝統工法とは、言わば「雨に邪魔されにくいこと」を主眼にしているからです。

 

建て方で柱と梁を一気に組み上げ、棟を上げ、最短で屋根まで到達する。そして屋根をつくってから、次に外壁をつくり始める。それは、雨を防ぐ最も重要な部分を先につくる、という意味でもあるんですね。

 

これが、外国由来の木造工法である「ツーバイフォー」では全く手順が違います。一階の骨組みと壁をつくり、二階を同様につくらないと、屋根はつくれない。その間に雨があると、構造体は濡れてしまう。

 

私はツーバイフォーの現場を見るたびに思います、やはりこれは気候の違う国から来たやり方だなあ、と。雨の国と言ってもいい日本には、やはり早々に屋根がつくられる建て方のほうが、理に適っていますよね。

 

ということは、E-BOXのビッグウォール工法とは、システム化住宅という名を冠しているものの、その思想とはまさに日本の木の家の延長線上にある。言い換えれば、和風のその先にあるものではないでしょうか。

 

大切な家、その構造を雨に濡らさない。そうした考え方自体も、木に対する日本人の畏敬の念のあらわれですよね。E-BOXの建て方は、そうした良い部分を受け継ぎ、さらにそれを先鋭化しているのかも。

 

今日はたちまちにして上がっていく建て方の様子を見ながら、そんなことも考えていたのでした。いずれにせよ、無事の上棟、まことにおめでたいことであります。

ものづくりの芯

〈中学一年生のバレンタインに、大人も見習うべき無垢な気持ちを見た気がしました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日はまたしても親バカ的話題にて、失礼いたします。今日はバレンタインデーということで、冒頭の写真はうちの末っ子(中学一年生女子)がつくったチョコ入りクッキーたちです。

 

私自身はバレンタインデーという西洋の風習にはあまり興味はありません。でも子どもたちは熱心ですし、特に中学生の末っ子には、男の子というより友達同士でチョコなどをやり取りする大事な日のようです。

 

今回も何日も前から材料を買い込んだりして「手づくりチョコ」の準備を進めているので、「今年は何人分つくるの?」と聞くと、なんと50人分だという。驚いて思わず「なんでそんなに多いの?」と。

 

聞けば、彼女が所属するバドミントン部の先輩たち、そして同期の皆の分だそうです。特に受験の時期の先輩にはチョコで元気をあげたい、とのこと。いや、なかなか感心なことではありませんか。

 

クッキーの生地をつくるところから、休みの日や朝晩の時間を利用して、こつこつと作業を進めています。いつもは寝坊助のはずなのに、今回はちゃんと朝6時に起きるし、少し夜なべもしていたようでしたね。

 

親バカのそしりは甘んじて受けますが、私が彼女を偉いと思ったのは、義務感でやっているのではないこと。本当に、友人たちや先輩たちに喜んでほしい、と思っている。それは話をしていればわかります。

 

であればこそ、朝早くから、夜更かしをしてまでやろうという気になるのでしょうし、実際作業をしている時の彼女は、ちょっとは勉強もこうあってほしい、と思うくらいの集中ぶりだったんです。

 

本人がどう考えているかは別にして、私は傍で見ていて「ものをつくって差し上げる」ということの本質を見た気がしました。喜んでいただけることが嬉しくて、そのために全力を尽くす、ということを。

 

そうした彼女の無垢な心、純な気持ち、そういうものは私たち大人も同様にもっているべきだし、それは恥ずかしいものでも何でもない、言わばものづくりという行為の中核をなす「芯」なのだと思うのです。

 

そういう私自身、ものづくりに携わっています。木の家はプレゼントではないですが、ご本人の代わりに「つくって差し上げる」という点においては、バレンタインの手づくりチョコとなんら違いはありません。

 

そうした「あなたの代わりにつくって差し上げる」という行為に自身の喜びを見出すこと。そうした営みが、つくるものに何か目に見えない力を与える。それは実は皆が肌で知っていることではないでしょうか。

 

無心にチョコ入りクッキーをつくる娘から、今回は大事なことを教えられた気分です。なお、御礼にと思って少し手伝ったところ「お父さん、もういい」と一蹴されたことも、合わせて記憶に残る出来事でした(笑)。

想いの調律

〈またひとつ、木の空間によく似合う落ち着いた講座が始まりました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は、KJWORKS阪神「木の空間」で、久しぶりに新しい講座が始まりました。山本美佐子さんによる「心理書道講座」です。心理書道って何!?という感じで、今日は私も同席させていただきました。

 

山本さんのブログのトップには、「心が整う、私が変わる、心理書道」とありました。これはどうやら、文字を練習するという「型」の書道教室とはだいぶ違うようだぞ。そんなことを想像しながらの聴講でした。

 

今日ご参加の方は三名さま。まず山本さんが何をされるのか見ていたら、おやおや、まずは「今日書く言葉」を探すところから始まりましたよ。ちょっと意表を突く展開、これが心理書道たる所以なのかも。

 

たくさんの言葉が書かれた一覧表を見ながら、その中でもそれ以外でも、「イメージしたい自分、なりたい自分」といったものを表す文字を探し、それを正方形のポストイットに書き出し、並べていきます。

 

書き出し、並べながら、その言葉の出てきた意味、自分の本音を探り、そこから浮かぶ言葉もまた書き出す。そうして、皆さんの選ばれた言葉は増えていき、ポストイットがたくさん並んでいきました。

 

出し切ったらそれらを分類、カテゴリー分けしていきます。なるほど、こうした言葉を選んでいくというステップに時間を掛けることで、己の内面と向き合ってみよう、ということのように感じられた次第。

 

皆さんそこをじっくり詰めていかれて、最終的に今日私が書きたい言葉、すなわち今の自分が一体化したい言葉を選ばれたご様子。そこに納得するところまで来て、はじめて墨を擦り始めるんです。

 

私も後から少しやらせていただいたのですが、墨を擦る、という行為自体、もう何年ぶり、いや何十年ぶり?そのことに驚いてしまいましたが、でもこれって、なんだかとても気持ちが落ち着きますね。

 

まして、自分の今の想いを自分で言葉として選び取った皆さんには、その後にゆっくり墨を擦るというこの時間は、なおさらいつもの日常生活には無い、ちょっと特別な時間だったのではないでしょうか。

 

そこからは、いわゆる書道の時間。書くべき文字の部分的なところから練習し、その後一度書いてみて、山本さんがそこにアドバイスしたり、朱を入れたりしながら和気藹々と楽しく進んでいきます。

 

この、書いたものに朱を入れる、あるいは朱で丸を書いたりする、というのを見ていると、デジャヴを感じるような、とても懐かしいような気分になりました。それはご参加の皆さんも同じだったご様子。

 

今日の成果として、自分が選んだ文字を書き上げられた皆さん、それぞれにとても嬉しそうでした。山本さんの言葉「心を無にし筆で紙になりたい自分のイメージを書く」ことの結果がこれなのでしょう。

 

書の出来、良し悪しは二の次、というと失礼ですが、でも自分の進むべき方向にある自分のイメージを、言葉として墨で描く、そこまでの過程で自分の想いを見つめ、整え、そしてそれを投影すること。

 

「お手本のように書く」という模倣ではなく、自分の内面にあるものを外側の自分と一体化させるために書く。それは自分の想いを優しく調律するような行為だと、私には感じられました。

 

人は何をフィルターにしても自分の内面を感じることが出来ると思います。しかし「書」を通して感じられるものは、中でも日本人である自分のアイデンティティに触れること、なのかもしれませんね。

風が起きたら

〈いつもと同じものが、今日は違う意味で眼に入ってきました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

昨日は木の保育園の「わくわくする場所」のことを書きました。その後も図面を描いたりスケジュールを検討したりしつつも、ずっとそれが頭から離れないでいます。そういう楽しい空間のあり方が。

 

そして今日は朝から、保育園の設計を担当してくれるスタッフ和田との打合せでKJWORKS本社「くらしの杜」へと向かいました。彼女は伊丹の「森のほいくえん」も担当し、私より専門知識を多くもっています。

 

プランの一部改善、今後の実施設計と申請の動き、色んな業者さんへの見積依頼のことなど、通常の家づくりとは少し違った施設ならではの進め方を打合せ。時々こうして設計担当と詰めながら、計画は進みます。

 

そして打合せを終え、さあ事務所で作業に戻ろう、と思って玄関の方へ向かった私の眼に、今まで「あるのがあたり前」であまり認識できていなかったモノが、急に別の意味をもって飛び込んできたんです。

 

ちょっと見えにくいですが、それが今日の冒頭の写真のモノ。本社ギャラリーの吹抜空間に吊るされた、大きなモビールです。木で出来たヤマガラやエナガなど森の鳥たちが10羽、空を舞うように揺れている。

 

この可愛い鳥たちのモビールは、旭川のクラフトアーティスト・早見賢二さんの作品。「ギャラリーZbiyak」という工房で制作活動をしておられます。どれも、北海道で見られる鳥たちをモチーフにして。

 

いつも見慣れているはずのこのモビールに、今日は「あっ」と声が出ました。全体ではとても大きく高さがあるこの作品、まさに計画中の保育園の吹抜けにぴったりやんか。もう、一瞬でその光景が浮かびます。

 

ちなみにこのモビール、反対側から見るとこんな感じ。

 

と、そこで、昨日から考え続けていた「わくわくする場所」のもうひとつの答えが見えた気がしました。それは「動き」です。動くものがある木の空間。ゆっくりと、風を感じさせるような穏やかな動き。

 

木の鳥が子どもたちの頭上に揺れていたら、とても楽しいですね。これはお客さまに是非ともご提案しなければ。そんな想いで写真を撮りました。この10羽の大きなモビール以外に、こんな1羽のもあります。

 

これはカモですね。頭と胴体、翼がマグネットでくっついていて、別々に動くんですよ。これもいいなあ。

 

いや、人間の眼の「慣れ」というのは本当に恐ろしい。あまりにも見慣れているので、普段は空間にそれが揺れていることすらも認識していませんでした。見えているようで、視えていない。

 

しかし、ここのところ自分の頭の中が保育園モードになっているので、それが別の意味で視えた。気持ちの有り様が違うと、いつもと同じものが違って見えると言いますが、まさにそういうことですね。

 

風に揺られてゆったりと動くこれらのモビールの姿、今日は久しぶりにじっくりと、今度は保育園の中にある姿を思い浮かべながら観察し、もう一度心に焼き付けたことでした。

 

そう、なんだか私の頭のなかにもふわっと風が起きたような、そんな新鮮な気分を味わいながら。

こどものすみか

〈お客さまと話したキーワード「わくわくする場所」を忘れずに計画を進めていきます。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

年明け早々からスタートした「木の保育園」の計画、先日お客さまへとプランのご提案をさせていただき、いよいよ建設へ向けて本格的に設計が動き始めております。

 

まだプランが決まるまでしばらくやりとりが続いていきますが、いわゆる大規模な施設ではなく、少し大きな家という感じの床面積をもった、まさに木の家の延長線上にある保育所になりそうですよ。

 

今回、プランについて最初にお客さまから色々とご要望を聞いた時に、こういうお答えがありました。「わくわくするような場所をつくりたい!」と。子どもたちの目がキラキラ輝くような、そんな場所を。

 

そして今日の冒頭の写真は、そんなお話の中にもあったもの。いわゆる「ツリーハウス」というやつです。うん、これはまさにわくわくの筆頭という感じで、子どもたちの素敵な居場所になりそうですよね。

 

残念ながら、今回の敷地にはこんな大木はありません。でも、全く同じでなくても、こういうツリーハウスのような楽しさ、わくわく感をもった場所をどこか建物の中に仕掛けていきたい、そう思いました。

 

子どもに帰った気分で色々と思い描くのは、例えば高くて眺めのいいところ。ちょっとした穴ぐらのような場所。階段や段差、などなど。木の空間の中に少しそうした仕掛けがあると、きっと楽しいでしょうね。

 

しかしつくり込み過ぎるのは却ってよくない。子どもたちの自由な想像力・創造力は、なんでも遊び、遊び場に変えてしまいますから、それを誘発するような場所であるということも非常に大切だと思います。

 

ただ、それらを空間に盛り込みつつ、建築基準法や福祉のまちづくり条例、企業主導型保育事業の助成基準などの規制に合致させていくのは、正直言ってなかなか難しい。木の家の設計と最も違うのはこの点です。

 

なので今回は、設計の作業期間もおのずと木の家よりも長い時間がかかることになるでしょう。実は今日も、図面を部分的に訂正しながら、その調整にしばし頭を悩ませていたのでした。

 

おそらく、これからの色んな調整の時間を通じて大切なのは、その一番最初の「子どもたちがわくわくする居場所をつくる」というモチベーションの維持なのかも。今日はそんなことも考えていましたね。

 

その源となるのが、今日のツリーハウスの写真や、他にも色々とお客さまからいただいた「わくわくの場所」の写真、そして自分で他の事例を調べる中で面白いと思ったもの、シュタイナー教育の素敵な事例。

 

そうしたものから日々刺激を受けつつ、そこへ向かって進むチカラをずっと持ち続けていられるなら、出来上がる建物はきっと、楽しい「子ども達のすみか」になる。そんな気が今、しています。

 

無論「木のほいくえん」は私の長年の悲願ですので、そう簡単にへこたれる気はありません。でもいつも以上に「こうしないといけない」を基準にモノを考えるのでなく、「こうありたい」を基準にしないと。

 

何だか今日は悩みと決意表明みたいになってしまいましたが、ブログを書くことで自分に言い聞かせている感じです。きっと素敵な保育園が出来上がりますので、皆さまもどうぞご期待くださいませ。

動けど感知せず

〈留守の時に誤感知で通報がいかないよう、セキュリティ機器を移動しました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

今日は午後一番の志事を終えた後は早めに帰宅していました。自宅の設備について、専門職の方に来てもらって作業をしていただく予定があったものですから。

 

その設備というのが、今日の冒頭の写真のモノ。何かご存知でしょうか?これは、ホームセキュリティSECOMの「空間センサー」と呼ばれるものです。留守の時に作動してくれる機器なんですよ。

 

作動と言ってもこれが動くわけではなく、ここから赤外線が出て、部屋の中で動くものを感知して通報する、という機能をもっています。ALSOKなど他社にも同様の機器がありますね。

 

今日はこの壁付けの機器の位置を、天井に近い場所から床に近い場所へと変更してもらう、という作業だったのでした。何と言ってもセキュリティ機器ですから、素人が触ってはいけないのです。

 

では、何故そうした設置位置の変更が必要になったのか。それは、先月末にこのブログにもその活躍を書いた「彼」のためなんです。自動お掃除ロボ・ルンバ君です。

 

ルンバのあるご家庭では、たいていは留守の時に掃除をしておいてもらう、という使い方だろうと思います。でも、SECOM設置後にルンバ君を導入した我が家では、それが出来なかった。

 

そう、留守にSECOMを掛けてしまうと、この空間センサーがルンバ君を感知してしまうんですね。お掃除していて通報されてはかないませんから、やむを得ず人が居る時に使っていました。

 

奥さんは「全然それでかまへんよ」と言っていたし、何年もそれでやってきたんです。しかし今回、急に出かける用事の時にルンバ君が稼働していて、ちょっと困ったことがあったりして。

 

なので、以前からSECOMの担当者さんに「センサーの位置変更で対処できますよ」と聞いていたし、これを機にようやくその作業をお願いすることにした、という次第。

 

天井付近から床付近に位置を変更し、従来の「上から斜め下へ」という赤外線の方向を「下から斜め上へ」へと変えるわけですね。これで、ルンバ君は赤外線より下で安心して動ける。

 

ちなみに、ルンバ以外にも、ペットのいるご家庭でも同様のことが言えます。ペットのサイズに合わせて、その動く高さよりも上にセンサーを設置することで、誤感知をなくすことができます。

 

でも、あまり上に付けすぎると、例えば人がしゃがんで移動することが出来る高さだったりすると、あまりセンサーの意味がなくなってしまう場合があるので、気をつけないといけません。

 

今日は作業に来られたSECOMの工事担当の方に、そうしたことも教えてもらいました。私は最初、腰の高さくらいと思っていたので、そのお話に納得して、写真の高さに変更しました。

 

担当者さん、高さや赤外線の方向について何度もご自分で感知範囲を確かめながら、細心の注意を払って取付けてくださいました。いや、最初「自分でやろうかな」なんて思った自分が恥ずかしいです。

 

セキュリティの機器はその性能をきちんと発揮して動作しないと意味がありませんし、不具合は犯罪被害に直結するおそれがある。そうした大事な志事を遂行する姿勢も伝わりましたね。

 

さあ、これで安心して、留守中のルンバ君稼働という本来の使い方を山口家にも導入できます。と言っても、私は彼の動きが面白いので、自宅志事の時に動かしてみる気もしますけれど(笑)。

天命を呑む

〈たまたま誕生日におこなわれた会で、よい気づきをいただきました。〉

 

ご愛読、ありがとうございます。木の家づくり・暮らしのプロデューサー、山口です。

 

ごく私的な話で申し訳ありませんが、今日は私の誕生日でして、ちょうど50歳になりました。Facebookなどでたくさんお祝いメッセージいただき、どうもありがとうございました。

 

そんな日、私の事務所「木の空間」ではかお凛こと高橋かおりさんと「場づくり」に関わる皆さんとの語らいの場「凛カフェ」が開催され、私もいつも通りご一緒して語り合っていたんです。

 

そこで今日は「今年の抱負(個人と場づくりと)」を文章にしてみる、というお題が出ました。それを書いてみて皆でシェアする中から、各々の刺激になることを見出す、という狙いかと。

 

なので私は、今朝から考えていたことを書きました。孔子の「五十にして天命を知る」から、「50歳になって、迷わない自分の方向を見つけたい」と。天命を知りたいということですね。

 

そうしたら、今度は「自分が書いたのを見て、どう思うかを書いてください」ときた。思わぬ言葉にちょっとたじろぎながら、書いたものを読み返して、感じたところを正直に書きました。

 

それは「大枠は、もう決まっている。あとは細かいところだけでは?」という意味のことです。それはあたかも別の自分が言った言葉のようで、そう思ったこと自体も意外でしたね。

 

でも確かに、自分で思う「天命」は、ずっと前から決まっています。このブログの読者の皆さんにはおわかりでしょうが、木の家、木の建物をつくって人の暮らしに貢献することです。

 

でも、一言で木の建物をつくることと言っても、実際には色んな志事の方法がある。それを絞り込んだ方向性を見つける、ということを、最初の「抱負」で私は言いたかったのでしょう。

 

でも、それを客観視する行為へと誘われて、もう一人の自分は「そんな細かいことはええやんか」と感じた。確かに「天命」ということに、そんな細かい指定などはおそらく無いですよね。

 

かお凛の意図通りかどうかわかりませんが、私としてはこの客観視で、自分の視野が狭まっていたのを広げてもらった感じでした。それは、スッと音を立てて胃の腑に落ちる感覚でした。

 

そしてそんな思いでいるところへ、今日初参加の方がくださったのが、今日の冒頭の写真のポストカード。「KJWORKS阪神」という文字が可愛らしく描いてあり、そこに笑顔が4つも。

 

こういうのを「笑い文字」というのだそうですね。なんだか、見ているだけでこちらも微笑んでしまう感じ。そしてこう思いました。うん、そう、これやんか。これが天命やんか。

 

人のやるべき志事とは、人に笑顔の時間を提供すること。そして私の場合はそのための手段が、木の家、木の建物づくりである。細かいことはどうでもいい。その根幹が大事なんだ。

 

その根幹を忘れなければ、それでいい。具体的な手段はその都度色々と変わりうるし、変わってこそ色んなやり方が出来ていい。そういう思考でなければ、天命など全うできない。

 

身内のことでここしばらく志事を離れていて、少し心のゆとりが無くなっていたのかもしれません。しかし今日の気づきによって、己の天命がぐいっと飲み込めた気がしたのでした。

 

ちょうど今日、こういう己についての気づきを得られたことこそ、何より嬉しい50歳の誕生日プレゼントになりました。ありがとうございました。

 

 

※なお、このポストカードをくださった三木ゆかりさんは「筆文字工房ちひゆ」を主催されています。サイトの方も是非ご覧くださいませ。

http://fudemoji-chihiyu.com/